東京の都心は坂が多い。高台があるかと思えば谷がある。起伏に富んだ複雑な地形をしているのだ。そして盛り場はおおむね低い土地に広がっている。
また、江戸時代に街道の宿場町や河岸場の問屋街だった場所の大半は、いまだ賑わいをみせている。
土地の形が町の顔をつくり、時代ごとに中心が移動したり異なる表情を浮かべたりしつつ、現在の姿へと変遷してきたのである。
佐々木譲は、そんな地形と歴史が積み重なってできた町ならではの事件を扱い本作を書きあげた。
警視庁捜査一課の水戸部は、十五年前に起きた老女殺人事件の再捜査を命じられた。被害者は荒木町の元芸者でのちに置屋の女将となり、置屋廃業後はアパートの家賃収入で暮らしていた。事件当時、土地取り引きにおけるトラブルの噂が囁かれていたという。水戸部はかつてこの事件を捜査した元警官の加納とコンビを組み、あらためて関係者を訪ね、見逃された事実はないかと探っていく。
四谷荒木町は、新宿の東方面、地下鉄四谷三丁目駅の北側に位置する小さな町で、かつては花街だった。この付近一帯は、谷と丘が入り組んでおり急な坂も少なくない。荒木町からさらに北へ向かい靖国通りを越えると高台が広がり、かつてフジテレビ本社のあった場所には現在高層マンションが立ち並んでいる。
主人公は、現場を歩き、証言を集め、残された資料を読み返し、丹念に捜査を重ねていく。まさに考古学者のごとく事件の地層をひとつひとつ掘り起こしていくのだ。そこで暮らす者たちの人生が集積し形作られた町の姿と殺された老女の過去に着目する。やがて古い記憶から浮かびあがる意外な真相をつきとめる。
随所で書きこまれているのは、独特な土地柄と時代の変遷が捜査に大きく影響している側面だ。単に被害者の半生や人間関係を洗い直しただけで事件の犯人へたどりつくのではない。それゆえ、従来の警察小説とは異なる魅力がひしひしと感じられる。
さらに、公訴時効廃止を受けての再捜査だったり、警視庁を退職し現在は相談員をつとめる元刑事が相棒だったりする設定も特徴的で、ひねりの効いたドラマを生み出している。
また、細い路地や坂道を歩きまわるといった、ちょっとした聴きこみの場面でさえ、土地の風情が印象に残るように書きこまれている。妙な懐かしさを行間から感じるのだ。警察ミステリとしての妙はもちろん、町のたたずまいを味わう小説としてもきわめて秀逸な一作である。