2018.01.11 別冊文藝春秋

『跳ぶ男』青山文平――立ち読み

文: 青山 文平

電子版17号

 殿席のことは、まだ臣下の語り口になる前に、要る話としても要らぬ話としても聞いた。要らぬ話としての殿席は、もっぱら外様を統制する手立てであるということだ。譜代ならば、藤戸藩とさして変わらぬ石高の大名といえども、老中を頂点とする幕閣に手が届く。そして幕閣に就けば、武家官位はおのずと付いて回る。大坂城代ならば、いわゆる四品である従四位下、その上の京都所司代ならば老中と肩を並べる従四位下侍従だ。それに、大名の上下の関わりにおいて、御公儀の御役目は武家官位に先立つ。従四位下侍従の老中が、その上の従四位下権少将である石高数十万石の国持大名を「安芸」や「備前」と呼び捨てにする。これに対して、外様は御公儀の御役目と無縁だ。己れの立ち位置をたしかめる手立ては武家官位をおいてない。それゆえ、より上の位に渇く。武家官位は朝廷より頂くとはいっても朝廷に取り次ぐのは御公儀のみだから、少将が、中将が欲しければ、常に御公儀の御意向を窺わざるをえないということらしい。

「とはいえ、出雲守殿はいつまでも柳之間に居られるわけではありません。いずれは大広間に移られます。望月家は四品、すなわち従四位下の家柄であり、本来の殿席は国持大名と同じ大広間だからです」

「ならば、なにゆえに」

 剛は問う。藩主の構えで。

「いまは柳之間に居わすのか」

 付け焼刃に見えぬし、聞こえぬのは、能役者のゆえか。あるいは、時のなさがそう強いるのか。

「それが、武家官位というものなのでございます」

 又四郎もまた、見事な化け様だと嘆じつつ答えた。

「武家官位は一度定まりさえすればずっと変わらぬというものではございません」

 慣れる間もないはずなのに、すでにして板に付いている。知らずに気圧されるのは、江戸屋敷の奥で育った者ならではの品さえ漂わせているからだろう。この凄まじいなり切りを認めただけでも、岩船保が遺した「素晴らしい役者」という言が信じられる。屋島剛はすっと役に入る。思わず、文隣院様が舞った妖精を思い出す。どう目を凝らしても、人ではなく妖精にしか見えなかった。あの妖精のように、屋島剛は御藩主だ。能舞台を観るまでもなく、これならば「羨ましい」かもしれぬ。このまま齢を重ねれば名人にだって届くだろうにという想いに、ふっと「七月」が交じる。時はあまりに短い。残るは「想いも寄らぬことをやる」だが、こんな風にはゆくはずもあるまい。もとより、勝手な賭けだ。なんの目算もない。期待をかけることじたい誤っているのは重々承知である。とはいえ、血の一滴までなり切ったような御藩主ぶりを見せつけられれば、ひょっとすると、という気持ちが湧くのを抑えがたい。急場を凌げるだけでも上々なのに、因果なものだと思いながら、又四郎はつづけた。

「武家官位は動くものなのです」

別冊文藝春秋からうまれた本



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