◆フィクションでしか知ることが出来ない場所もある
——5年ぶりの短篇小説集『わたしに会いたい』は、2019年から22年にかけて発表された7篇と書き下ろし1篇を収録していますね。文芸誌『すばる』(集英社)に掲載された短篇が多いですが、純文学系の雑誌に短篇を書くきっかけって、なにかあったのですか。
西 『おまじない』という短篇集を出した後に、『すばる』の編集の方が感想をくださったんです。私が意図していなかったところまで深く読みこんでくださっていて、すごく嬉しい感想でした。その方にまた短篇を読んでほしいなと思って書いたのが、表題作「わたしに会いたい」(発表時「私に会いたい」)でした。そうしたら「よかったら、いつでもいいので短篇ができたらまた送ってください」と言っていただいて。それで気の向くままに書いていったら、結果的にどの短篇も「自分の身体で生きていく」というお話になりました。
——『すばる』は純文学系の文芸誌ですが、いわゆるエンタメ/純文学というジャンルは意識されましたか?
西 今回、それはまったく考えませんでした。何が純文学で何がエンタメか、私自身にも説明できないし、自分が信じられるものを書くという姿勢を徹底したらこうなったというか。以前からそのつもりで書いてきたけれど、最近はこれまで以上に自分の心にフォーカスして、正直に書けるようになった気がしています。その時々で書きたいものを書くようになって、小説を書くことが本当に楽しくなってきました。
私は2019年にカナダのバンクーバーに移住して、21年に乳がんと診断されました。8カ月間治療をしていたのですが、その間も『わたしに会いたい』の収録作をどんどん書いていたんですよ。治療と並行して書くのはすごく大変だったはずなのに、どんなペースで書いたのかとか、細かいことは正直よく憶えていないんです。後から振り返って、「なんであんなに書いていたんだろう」と自分でもびっくりしました。
——薬の副作用で辛い日もあったと思うんですが、書き続けていたんですね。しかも同時に、ご自身の治療体験とその時の思いを綴ったノンフィクション『くもをさがす』も書いていたんですよね。
西 そう。よっぽど書きたかったんだと思う。身体は危機的な状況だったけど、同時に、作家としてこんなに〝書ける経験〟もないぞといういやしい気持ちがあったんでしょうね。どうしようもないくらい、この感覚を残したいと思ってました。
もちろん、書くことができたのは、友達がご飯を用意してくれて、子供の面倒を見てくれて、私が「今日は調子がいいから自分でやる」と言っても、夫も友達も「あなたのしたいことをしてくれ」と言ってくれたからなんですが。彼らは私にすべての時間をくれたんです。
——そういう日々のことをノンフィクションとフィクション、両方で表現したいと思われたんですね。
西 そうなんです。『くもをさがす』は、日記で書けなかったことを書きたいなというところからスタートしていて。当時の日記を見返すと、「〇月〇日 しんどい。」だけで終わっている日もあって。もっといろんな感情があったはずなのに、後で見返して「しんどい」だけの日になるのは違うと思いました。本当はもっといろんなことがあったし、もっと楽しかったし、もっと美しかったし、もっと怖かったし。そういう感情をきちんと書いておきたかった。結果として『くもをさがす』として刊行されましたが、当時はどこかに発表するつもりもなく書いていました。
一方で、フィクションでしか出来ないこと、知ることが出来ない場所もあるから、小説は書きたかった。たとえば私は、この本に収録した短篇「あなたの中から」の主人公ほどしんどい人生を歩んではいないけれど、彼女の人生の裾野にはいたと思うんです。大きなくくりのなかでは、同じ文脈のなかにいたというか。
ノンフィクションとして自分のことを書くと、当然、自分の世界の話だけになる。フィクションだからこそ、「あなたの中から」の彼女に〝生きづらさ〟を凝縮させることができたし、そうすることで、ノンフィクションとは別の世界を作り出せたのかなと思います。
◆〝素手〟で自分の身体を触る瞬間を書きたかった
——表題作「わたしに会いたい」の主人公ミィは、5歳の頃に病気のため骨の成長が途中で止まり、これ以上身長が大きくならないと診断されます。そんなミィが仲良くしているのが読書家のいとこ、モト。モトがある日、ミィのドッペルゲンガーを見かける。それを聞いたミィは、ドッペルゲンガー=「わたし」に会おうとするけれど、なかなか会えない。でもある時から、ミィが辛い時、大変な時に、「わたし」は彼女の周囲に現れてくれるようになった……。この短篇はどのような発想から生まれたのですか。
西 私、数年に一度、夜寝ている時に書きたい短篇のイメージがバババッて浮かぶことがあるんですよ。「わたしに会いたい」と、この本に収録した「VIO」と「掌」は三つ同時に浮かんで、順番に書いていきました。
「わたしに会いたい」では、自分が自分のヒーローなんだ、というイメージを書きたいなと。〝ヒーロー〟というと、ついその人が登場するのを待ってなきゃと思ってしまうけれど、それだとこちらが受け身になってしまうんですよね。もし自分が自分のヒーローだったら、待つ必要もないし、自由自在に動ける。その考えは、この小説を書く前からずっとあって、ようやく形にできました。
——次の「あなたの中から」は、〈私はここにいる。「あなた」の中にいる。〉という冒頭から始まり、徐々に「あなた」が生まれてからのことが語られていく。「あなた」は容姿にコンプレックスを持ち、女性だからこその生きづらさを数多経験したのち、乳がんと診断される。終盤で、「あなた」が自分の身体に触れる場面が印象的です。
西 まさに今、がんに苦しんでいる方もいらっしゃるので、言い方が難しいし、感じ方はもちろん人それぞれだと思うのですが、私の場合、がんになった時、がんをすごく健気なものだと感じたんですね。私たちが特に意識することもなく呼吸をして生きているのと一緒で、がん細胞も自分の意思とは関係なしにそこにいて、増殖していっている。少なくとも私は当時、そう感じた。
がん化した細胞が硬かったから、しこりも分かりやすかったんです。私は治療中の8カ月間、毎日お風呂の時に、がんに「頑張ったな」「なにか私に教えてくれているんやな」って言いながら、身体を撫でていました。自分の身体とそんな風に向き合ったことは、これまでの人生でなかった。8カ月間、こういう形で徹底的に自分の身体と向き合えたのは私にとってとても大切なことだったので、主人公にもそれを体験してほしいなと。自分の身体をジャッジするように触るんじゃなくて、この身体で生きてきたんだ、と感じながら、愛おしさや敬意を持って触る一瞬を体験してほしかったんです。
——この短篇には、フォントがゴシック体になっている箇所がたくさんあります。それがどれも、「30歳までに結婚しないと、女としての賞味期限が切れる」「欲情される女」「子供の命よりも自分の歓びを選ぶ母親」「ナチュラルな美人」といった、女性を抑圧するような、聞き覚えのある言葉になっている。
西 私がかつて言われた言葉もあるし、世の中にあふれている言葉もある。それらを、私は呪いだと思ってるんです。もちろん、どういう文脈で発せられたかにもよるけれど、でも言葉だけで充分暴力的ではないでしょうか。そういう言葉を内面化して、それらを通して自分を触ってきた女性が、本当に自分の〝素手〟で、自分の身体を触る瞬間を書きたいなって。
——「VIO」では、ガールズバーで働く主人公がVIO脱毛を始めますが、意外な方向に話が広がっていきますね。
西 私が若い頃にVIO脱毛をした経験がもとになっています。そもそも「VIO」という言い方って、日本だけなんですよね。でもよく考えたら、まさに〝V〟〝I〟〝O〟の形してるわ、うまい! と思う(笑)。
私が脱毛した時は、なんでこんな思いせなあかんねんっていうくらい、めちゃくちゃ痛かったんです。あまりに痛いので、どういう仕組みなのか知りたくなって。脱毛は、レーザーの光の特性、つまり光がメラニンに反応する、「黒いもの」だけ燃やすことができるというメカニズムによって成り立っているんです。「黒いものだけを燃やすレーザー」について考えていくうちに、黒い髪の人、黒い瞳の人、黒い皮膚の人……とどんどんイメージが広がっていって、気づけば兵器のことを考えていました。
——ガールズバーの同僚たちが、接客中に戦争のことを話題に出すと、「バカが何言ってんだ」と説教してくるおじさんもいれば、本を貸してくれる人もいたという場面が印象的でした。
西 私も政治のことがよくわからなかったり、アホなことがずっとコンプレックスだったりしたんですが、同時に、「なんでアホが語ったらあかんねん」という気持ちもあります。もちろん理解しようと勉強したり、努力はするべきだけど、第一投は、自分の思っていることをそのまま言ってもいいじゃないかって。たとえば「そもそもなんで戦争するの」って口にしたら「アホ」って思われるのが分かっているから、もっと正しいこと、もっと賢く見られそうなことを言おうとしてしまう。でも私が一投目で投げたいのは、「そもそもなんで戦争するの」という言葉なんですよ。主人公の同僚たちが、そこを勇敢に引き受けてくれて、カッコつけずに本音をガンガン言ってくれました。
——そうした素朴な、根本的なところを問い直さないといけないことって、この世の中に結構ある気がしますね。
西 そうですよね。私はそういう「そもそも」みたいなことをゆっくり考えたい。小説だったらそれを、いろんなアプローチで書けるのだから。
◆〝正しさ〟と〝優しさ〟をどう書くか
——「あらわ」は、両乳房を摘出したグラビアアイドル、露が主人公です。私も彼女のように、男の人は乳首を平気で見せるのに、なぜ女の人は恥ずかしがるのだろうと思ったことがありました。
西 もし男女の身体の違い、胸の形の違いにセクシーさが宿るとすれば、その違いって膨らみですよね。でもぽっちゃりした男性の少し膨らんだ乳房は、エロいとされない。それが私はずっと不思議でした。乳首についても、女性性から離れて単体で見たときに、本当にエロいのか、エロスってどこに宿っているんだろうという疑問がありました。それで、露ちゃんには私が直接経験できない、思い切ったことをやってもらいました。
書いていくうちに、エロさは、男女の身体そのものの違いから生じるのではなく、私たちがそこに何らかのストーリーを感じているから存在するんだなとわかった。でもじゃあそのストーリーって誰が作ったの? という。
例えば、露ちゃんはよく撮影の時に「恥ずかしそうにして。」と指示されます。たしかに、肉感的な女性がチェリーをくわえて「カモーン」と言ってるような裸を見ても、私は全然エロく感じないんですよ。恥ずかしがっている女性の方が、なぜかエロく感じる。でも、この感覚って、本当に自分の意思なのかな、とも思う。何かにそう思わされている気がするんです。私も女性の身体に込められたストーリーを無意識のうちに内面化しているのではないか、と。
——本能的な反応とかではなく、文化、社会的な影響を受けているという。
西 本当にそうだと思う。人間は文化的、社会的な影響から完全に逃れた〝私個人〟には絶対になれない。でも少なくとも、自分が何かの影響下にあるということは自覚していたいんです。
——つづく「掌」の主人公は、不思議な能力を得たという叔母さんに誘われて、深夜のビル清掃の仕事につきあう。そこで衝撃的な光景を目にします。
西 これも実体験がもとになっています。昔私がアルバイトをしていた先で、「掌」に書いたように、階段の踊り場でセックスをしている男女がいたんです。磨りガラス越しに見えてしまうんですが、なぜか全くセクシャルな感じがしなくて、「あ、やってんな」ただそれだけ、という感じだったんですよね。ただ、磨りガラスに手をついているのがいつも女性で、その掌の印象だけは強烈に残っていた。そこからこの話が生まれました。
——「Crazy In Love」も実体験がベースになっているのかなと思いました。
西 そうです。これは、金原ひとみさん責任編集の文芸誌『文藝』(河出書房新社)が出る時に、「私小説」というテーマでご依頼いただいて、金原さんの依頼ならぜひやりたいと思って書いたものです。
最初はバンクーバーで出会った、私と同じく乳がんサバイバーの友達の話を書こうとしていたんです。彼女は治療が終わった時に「生きる目的がなくなってしまった」と言っていて。それまでは、がんを治すというゴールに向かって突き進んできたけれど、いざそれが達成されると、次に何をやればいいのか分からなくなってしまったと。そこで彼女は小説を書き始めたんです。彼女自身のことや家族について書いていたので、まさに「私小説」というテーマにぴったりだなと思って、彼女のことをベースに書こうと思った。でも、やっぱりそれは彼女の話であって、私が書くべきではないと思ってやめました。
それで結局、私自身の話を書くことにして。手術の前って、何度も自分の名前を確認されるんですが、手術直前に、私に付き添っていた看護師さんが、私の名前を間違って覚えていたことが発覚したんですよ。「間違えてんのかい!」「この失敗だけはやめてよ!」と思うと同時に、なぜだか笑いが止まらなくなってしまって、手術室まで爆笑しながら行きました。あまりに強烈な体験だったので、それを小説に書こうと。
ノンフィクションだと「こういう話を書かれると嫌かな?」とか、まわりの人のことも考えなきゃいけませんが、小説だと設定を少し変えたり、一人の登場人物にいろんな友達の要素を詰め込んだりできるのが楽しかった。最初からそうしようと決めているというより、書いているうちに自然とそうなっていくのがまた興味深くて。
——「ママと戦う」では、フリーランスのライターをしているママが、一人で娘のモモを育てています。ママはモモを溺愛するけれど、モモはその愛情を素直に受け取ることができない。そんな2人がコロナ禍で柔術を習い始めるんですよね。
西 私もコロナ禍に柔術をしていたんです。感染リスクがあると言われていた時期だから、パートナーを一人決めて、毎回お互いに感染していないことを確認して、その人とスパーリングするんです。体を密着させる、ということもそうですし、相手を信頼する、という点においても、とても距離が近くて。それに圧倒されたのは、コロナ禍にあって自分もいつの間にか、人とのあいだに物理的な距離だけでなく、精神的な距離までできていた、ということなんだなと思い知ったんですよね。
——まさにこの母娘のあいだにも精神的な距離ができています。モモは、ママが自分の望む言葉を与えてくれていないと感じている。たとえば、モモが小学生の時、男の子に「ブス」と言われ、そのことをママに言うと、ママはモモを思い切り抱きしめて、「モモは可愛いんだよ」と言う。でも、モモが欲しかったのはそういう言葉ではない。
西 若い頃の私だったら、自分のまわりの人がモモのような状況に置かれていたら、「あんた、めちゃくちゃ可愛いで」と言って抱きしめたと思うんです。でも今の世界の価値観からすると、私の言動って間違ってますよね。そもそも、誰かが誰かを可愛いとか可愛くないとかジャッジする状況自体が問題だし、許可なく誰かを急に抱きしめることだって暴力的かもしれない。
そんなふうに、今は何かしようとする前に、まず頭の中で、「抱きしめたら嫌がられるんじゃないか」とか「可愛いと言っていいのかな」とか躊躇して、本当に言いたい言葉ではなく、その場での正しい言葉を探すようになっている気がするんですよ。でもそれは、相手のためというよりは、自分が間違ったことをしたくないからなんですよね。
価値観がどんどん変わっていくなかで、私だって間違ったことを言って人を傷つけたくない。でも果たしてそこにかつて自分が持っていた優しさがあるのかなって考えてしまうんです。
——ライターをしているママは、自分が過去に書いたものが時代の変化の中で今の価値観にそぐわなくなり、ネットで叩かれます。今って、生まれてから一度も失敗しないでいないと駄目だ、みたいな空気を感じることがありますよね。
西 本当にカウントすべきことって〝失敗〟ではなくて、〝誰かを傷つけた〟ことですよね。でも人は、自分に×が付くことの方を恐れてしまう。それって叩かれたくないだけで、結局、自分の話に終始している。誰かを傷つけないように気を付けるのでなくて、自分が叩かれないように気を付ける、それは誰のための行動なんだろうと。私はやっぱり、自分のやり方が間違っていたとしても、誰かを反射神経で抱きしめられる人間でいたいんだと思うんです。
——ああ、おっしゃる通りですね。今、自分が考えなしに「失敗」という言葉を使ったことを反省……。
西 いや、わかります。この作品でも、ママはモモのことを本当に可愛いと思っているから「可愛い」と言ったんですよね。でも、今の世の中だと、その言葉が間違っているということにだけとらわれて、自分の愛している人が世界で一番素敵だって思う気持ちすら間違っているように感じてしまいかねない。それでいいのかなって。間違ってもいいから、もう一回この母娘が近づけないだろうかということを書きたかった。
私自身、もちろん正しさや配慮は必要だけど、「最初に必要なのは優しさだよな」ということをどうやって実践していくか、今すごく悩んでいます。昔の私は、今の価値観から考えるとめちゃくちゃ間違ったことばかりしていたけれど、「失敗したくない」という感情はなかった。たとえその子から嫌われたとしても、少なくとも反射神経で友達を抱きしめる優しさはあったし、謝る覚悟もあった。でも今の自分は、相手のことを考えるより先に、正しいことを言おうとしていて、それに気づいたときにすごく寂しくなるんです。
◆〝迷っている自分〟を正直に書いていく
——最後の収録作「チェンジ」は、コロナ禍の日本が舞台です。昼はアパレルの店員、夜はデリヘルで働く女性が、デリヘルのお客さんに「チェンジ」と言われた、つまり別の女性に代えてくれと言われて傷ついたことを機に、自分の中で怒りの言葉をあふれさせていきます。
西 バンクーバーにいた時、定期的に流れてくる日本のコロナ関連のニュースを見て、「なんじゃこれ」って思うことがよくあったんです。「アベノマスク」とか「東京アラート」とか、もっと他にやるべきことがあるだろと。そうした怒りを発端に書いたのが「チェンジ」でした。一方で、自分は今バンクーバーにいて、燦々と光が射し込む快適な部屋で小説を書いている。当事者ではないからといってその怒りを書いてはいけないことはないけれど、なんとなく自分自身を一発殴っておきたい気持ちもあって、あるシーンを書きました。
——西さんは以前から女性の身体に意識的だった印象があります。たとえば『ふる』ではアダルトビデオにモザイクを入れることを仕事としている女性の話を書いていらしたし。
西 そうですね。乳がんになって、私がこれまで考えてきたことの答え合わせが出来た感じはありました。
今回の短篇集も結果的に「女性の身体の生きづらさ」を描くことになったわけですが、よく考えたら、女性の身体自体が生きづらいわけじゃないんですよね。女性の身体を持っている人を生きづらくさせる何かがある、というだけで。〝弱者〟という言葉もそうで、その人の何らかの特徴によって社会的に弱い立場に追いやられているだけで、その人自身が弱いわけではない。
女性の身体って、乳首があって、膣があって、生理があって。そういう子供を産む機能があることで、社会から過剰に意味づけをされて、多かれ少なかれ困難さを強いられてきたと思うんです。自分はそれをフラットにしていきたい。
胸にがんができて、「自分が呼吸するのと一緒で、がんも意思に関係なく増殖しているんだな」という感覚を持った時、女性の身体について自分が何を言いたかったのか、なんとなく分かった気がしました。私は自分なりに女性の身体をニュートラルに見たかったんですよね。被害者でも加害者でもなく、ただの〝身体〟としてとらえられるように、思い込みを解体していきたいんだな、と自覚しました。
——これまでも西さんの小説からは「自分を肯定していいんだよ」というメッセージを感じてきました。それは読者たちを励まそうというより、ご自身でご自身を肯定したい気持ちが強いからでしょうか。
西 そうですね。でも、肯定を強制することには注意しないとな、と思っています。私は金原ひとみさんの小説が好きなのですが、彼女の小説は、自分を愛さない権利もあると教えてくれている。
どちらにしろ、自分が自分をどう思うかがすごく大切なんだと思います。自分が好きなもの、自分がしたいことは、自分しか知らないはずなのに、他人や社会に決められている感覚がある。だから、私は自分の身体を取り戻したいんですよね。自分の身体は一個で、ままならないことばかりだけど、でも少なくとも、自分の身体はここにあるんだ、ということを実感したいんだと思います。
——私、西さんがカナダに行くと伺った時、今後、世界文学を目指していくんだなと勝手に思っていたんです。でもその後、『夜が明ける』のような、今の日本を見つめる作品も発表されています。ご自身の中で、カナダに移住した後、いろいろ思うところがあったのですか。
西 バンクーバーは世界でも指折りのリベラルな街で、もちろんしんどいこともあったけれど、本当に居心地がよかったんです。でも同時に、街のリベラルさに合わせようと自分が背伸びをしているのかもと思うこともあって。自分は結局誰かに認められたがっているだけなのか? と。何か意見を訊かれた時に、私個人の意見ではなく、日本人女性としてこういうことを言うべきなのではないか、と思ってしまう場面があったんです。でもそれって、自分が本当に一投目で言いたいことじゃなくて、その場に合わせた言葉になるんですよね。そうやって背伸びをしているうちに、自分は昔よりも正しいことを言えるようになった気になっているけれど、本来この正しさって、もっと紆余曲折して、傷だらけでたどり着くものなのではないかなと。
たとえば私の尊敬するナイジェリアの作家、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェが言っていることを読んで、「私も前からそう思ってた」みたいな気になってしまったり。でもそれって、彼女自身が自分の人生を賭けて勝ち得た言葉を拝借しているに過ぎないのではないか。
そうやって自分の一投目をおざなりにしていると、「私はこう思う」という感覚がなくなるのではないかと恐怖を感じて。正しさをつぎはぎしただけの自分になりそうで怖いなと。そう自覚してから、小説も世界に照準をあわせるのではなく、自分の感覚をしっかり書きたい、と思うようになったのかもしれません。
たとえばニュースを見た時に、自分が最初に何を感じるかを知ろうと思うようになったように、小説にも、自分が思った一投目を投影したい。
——ご自身も作品も、この先また変化していきそうですね。
西 そうですね。作家って、なぜか一貫性を求められているというか、最初から正しさにたどり着いている人と思われていそうで、違うで、と言いたい(笑)。そりゃあできることなら、そういう人間になりたかったですけど、そんなことは無理です。だから自分も「迷っている」ということを正直に書いてゆきたいです。
——西さんが今後どんなものを読ませてくれるかますます楽しみになりました。
西 とにかく自分に正直でありたいですね。それこそ背伸びせず、書く速度とはまた違う意味で、このスピードは自分にとって心地いいスピードなのか、真実のスピードなのか、そういうことをじっくり考えて書いていきたい。
来年からは、長い連載が始まります。しばらくは他の仕事をセーブして、これを集中して書こうと思っています。でもある日短篇を書きたくなったら、書くかもしれない。それも、本当に自分がしたいかどうかで決めるつもりです。
来年、デビュー20周年らしいんですけれど、すっかり忘れてたんですよ。10周年の時は、何か長いものを書こうと思って『サラバ!』を書いたけれど、節目になるから書く! とか、そういった意気込みは、もう手放します(笑)。書きたい時に書きたいものを書きます。もちろん、締切は守らないといけないけれど(笑)。
撮影:深野未季
西加奈子(にし・かなこ) 1977年イラン・テヘラン生まれ。エジプト・カイロ、大阪府で育つ。2004年『あおい』でデビュー。翌年、1匹の犬と5人の家族の暮らしを描いた『さくら』を発表、ベストセラーに。07年『通天閣』で織田作之助賞、13年『ふくわらい』で河合隼雄物語賞、15年に『サラバ!』で直木賞を受賞。その他の著書に『円卓』『漁港の肉子ちゃん』『ふる』『まく子』『i』『おまじない』など多数。23年4月に刊行した、自身の乳がん闘病生活を綴った初のノンフィクション『くもをさがす』が大きな話題となる。同年11月に最新短篇集『わたしに会いたい』刊行。