書名(カナ) | パンデミックヲオワリニスルタメノ アタラシイジユウロン |
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ページ数 | 224ページ |
判型・造本・装丁 | 四六判 軽装 並製カバー装 |
初版奥付日 | 2023年05月30日 |
ISBN | 978-4-16-391699-6 |
Cコード | 0095 |
この5月で新型コロナは2類から5類に移行し、日本のパンデミックもやっと終わりを告げることになった。
世界でパンデミックが発生した当初こそ、欧米での死者のあまりの多さに比べ、日本ではそこまでの被害が出ていなかったことから、ファクターXなどと、日本の特殊性を強調する声もあがった。
しかし、それは幻想だった。欧米ではいち早くパンデミックを終息させ、マスクのない日常を取り戻しているのに、日本ではだらだらと感染拡大は続き、丸3年たってもマスクを外せない暮らしが続いていた。
なぜなのか。
それは、日本が人権を制限できない国だからだ。
前の戦争の反省から、日本は人権の制限に極端に及び腰な国家になった。
しかし、感染症対策は、どこかで人権を制限しなければ効果的に行えないところがあるのだ。
たとえば行動の自由を制限するロックダウン。欧米ではほとんどの都市でロックダウンが行われたが、日本では「お願い」「自粛」のレベルでしか行動は制限されなかった。
今回のパンデミックが史上初めてワクチンによって終息するものとなることは最初から明らかだった。しかし、日本ではワクチンの接種も「推奨」であって、「義務」ではなかった。
本書はWHOでパンデミック対策に従事したこともある筆者による、新しい自由論である。
筆者は、感染症対策が、植民地経営と密接な関係にあることに着目。日本も台湾や朝鮮といった植民地を持っていた戦前は防疫先進国であったことを明らかにする。また、感染症対策が、戦争のたびごとに進化してきた事実に触れる。
そこから、ある程度人権を制限した中でなければ、対策の効果が出ないことを明らかにしていく。
人権は大切だが、それが制限される局面もある。国家は国民を説得し、そのことを許してもらわなくてはならない。それこそが、今後、国家に期待される役割なのである。
国民は3年間、不自由に耐え、できることはすべてやった。あとは政府の決断だけだ。
難民列車に乗って――はじめに
第1章 生物兵器開発と感染症
【コラム1】トロイ発掘を支援した医師
第2章 民主化がもたらした新型コロナ国防の弱点
第3章 日本産ワクチンはなぜできなかったのか
第4章 世界のワクチン開発競争
【コラム2】「交差接種」の衝撃
第5章 スタート地点に立っていなかったワクチン獲得競争
【コラム3】集団免疫における「接種一回」の重み
第6章 開発競争での敗戦が意味するもの
第7章 ウイルスの起源、研究所漏洩説
【コラム4】「ペイシェント・ゼロ」は二〇一九年十月発生か?
第8章 ワクチンを接種しない自由
【コラム5】新型コロナパンミックとシュタイナー主義
【コラム6】世界で初めての反ワクチン運動
【コラム7】ハンザ自由都市ハンブルクの濾過池
第9章 守るために制限する自由
【コラム8】ロックダウン明けの街で見たもの
真夏の夜の夢――おわりに
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