書名(カナ) | ナショナリズムトシュウキョウ |
---|---|
ページ数 | 384ページ |
判型・造本・装丁 | 文庫判 |
初版奥付日 | 2014年06月20日 |
ISBN | 978-4-16-813020-5 |
Cコード | 0195 |
本書は80年代以降、インドで確固たる社会的・政治的影響力を持つに至った「ヒンドゥー・ナショナリズム」を研究した本である。
「ヒンドゥー・ナショナリズム」とは、ヒンドゥー教を背景としたナショナリズムのことであり、90年代に政権を担ったこともあるBJP(インド人民党)がヒンドゥー・ナショナリズム政党として知られている。著者はインドでBJPの下部組織RSS(民族奉仕団)を対象とするフィールドワークを行い、この研究をまとめた。
本書の問題意識は、「ヒンドゥー・ナショナリズム」という言葉に対して、日本人が持つだろう違和感に集約されている。つまり、「ヒンドゥー」というインドの伝統的宗教が、なぜ近代的な概念である「ナショナリズム」と結合するのか? ということである。
近代に入り脱魔術化(ウェーバー)された社会では、宗教の役割は次第に「私的領域」に閉じ込められ、限定されていくとされてきた。それは個人の生活の習慣を支えたり、精神の安定には資するとしても、近代的な国家、社会、共同体において、積極的な役割を果たすことは少なくなっていくだろうと考えられていたのだ。
しかし、「ヒンドゥー・ナショナリズム」という現実は、その枠組みから外れてしまう。インドが遅れている(まだ脱魔術化されていない)から、そのような現象が起きるのだという言説は成り立たない。なぜなら、インドが世界資本主義の一部に呑みこまれていくにつれて、「ヒンドゥー・ナショナリズム」は興隆し、その影響力は増していったからだ。個人の不安や苦悩に応える「ヒンドゥー」がいかに「(ヒンドゥー)・ナショナリズム」というときには激しい反イスラム的あるいは排外主義的な暴力も伴う運動につながっていくのか? 本書はその内在原理に肉迫した、みずみずしい研究である。
ご希望のデータがダウンロードできない場合や、著者インタビューのご依頼、その他の本の紹介に関するお問合せは、直接プロモーション部へご連絡ください。
雑誌・書籍の内容に関するご意見、書籍・記事・写真等の転載、朗読、二次利用などに関するお問合せ、その他については「文藝春秋へのお問合せ」をご覧ください。
感想を送る
本書をお読みになったご意見・ご感想をお寄せください。
投稿されたお客様の声は、弊社ウェブサイト、また新聞・雑誌広告などに掲載させていただく場合がございます。
※いただいた内容へのご返信は致しかねますのでご了承ください。
※ご意見・ご感想以外は、こちらから各部門にお送りください。