直近一年間の直木賞候補から「今年の一作」を選ぶ試みである高校生直木賞。5月7日に開催された第4回の本選考会では、21校の代表者が全国から集って議論が行われ、須賀しのぶさんの『また、桜の国で』が選ばれました。同世代の友と小説について語り合うことを経験した21人の生徒たちの感想文を3回にわけて掲載する。
【第三回】
埼玉県立所沢高等学校 鈴木佑佳「今しか感じられないモヤモヤ」
藤枝明誠高等学校 青島 雅「繰り返し読んで得られた“気づき”」
滋賀県立彦根東高等学校 佐々木里歩「自分にとって読書とは何か」
埼玉県立所沢高等学校 鈴木佑佳「今しか感じられないモヤモヤ」
「(『蜜蜂と遠雷』は)もう賞を取っているから」という意見が出た時には、耳を疑った。これが判官贔屓というものなのか、と思った。
単純に面白ければ賞を与えるべきだと私は思う。『蜜蜂と遠雷』は、文章から音とリズムが聞こえてくる。色さえも見えてくる。
疑問を挙げていいのなら、この高校生直木賞というものの存在理由である。この賞は「高校生が選んだ直木賞」だと聞いていたが、今回の選考会で「高校生に読んでほしいからこの賞を取るべきだ」という意見もちらほら聞こえた。だとすれば、この賞は本屋大賞よろしく「高校生大賞」とでも銘打てばいいし、もっと分かりやすく「高校生への推薦本」とでもすればいいと思う。
今しかできない良い経験だった。「高校生直木賞」は、高校生の今の時期にしかできない良い議論の場だった。それぞれが、熱い思いをもって、率直に意見を述べ合い、盛り上がった。しかし、その反面、自説に拘りすぎるところもあったと思う。他の人の意見を聞き、話し合いの中で、自分の意見が変わっていくのが、この企画の本当の醍醐味だったのではないかと思うと、少し残念だった。
私は、学校の代表というよりは、「私という個人」そのままで臨んだ。だからこそ少しモヤモヤしたものが残ったのだと思う。けれども、そんなモヤモヤも高校生のときにしか感じられないことだ。きっとあと二つ三つ年を数えれば、ああそんな事もあったなと、馬鹿みたいに冷ややかで偉そうな鳥瞰しかできなくなるのだ。
来年の高校生直木賞がどういう風になるのか、実は今から気になっている。私達には後輩というものが終ぞ出来なかったから、きっと所沢高校が参加することは無いのだろうけれど。
藤枝明誠高等学校 青島 雅「繰り返し読んで得られた“気づき”」
私は最初、『また、桜の国で』と『蜜蜂と遠雷』で迷っていて、校内選考の段階では後者を推していた。それは『蜜蜂と遠雷』がよりすばらしかったというよりも、『また桜の国で』のラストシーンの、あるせりふに納得できなかったからだった。そして、そのときは自分と登場人物の価値観の違いだろうと片付けてしまっていた。しかし、本選に参加するにあたって候補作を何度も読み返してみると、初めて読んだときにどれだけ考えても察せられなかった最後のセリフの理由がすんなりとわかったのだ。それだけではない。一度目に気が付かなかった多くの発見を得ることができたのである。
今まで理解できないことがあっても、この本は面白くなかったとレッテルを貼って終わりにしていた私に、今回の出来事は、謎が解けたような爽快感を味わわせてくれた。
本選で他の人たちと議論をしたときは、考えもしなかった多様な意見に触れて興奮したが、同じ本を繰り返し読んで自らの力で見つけ出した『気づき』の嬉しさはまた格別だ。これからは、腑に落ちないと思った本ほど、もう一度読み直してみたいと思う。そこに新たな喜びが存在することを楽しみにして。
静岡県立磐田南高等学校 坂口奈菜「本って素晴らしい!」
私には兄がいる。兄は第1回高校生直木賞の参加者だった。本を読むのが好きだった私は、兄が持ち帰ってきた(当時の)直木賞候補作に夢中になった。面白い。ドキドキわくわくが止まらなかった。高校生になったら、自分もこれらの本について語りたい、心からそう思った。
実際に体験したそれは、想像以上に刺激的なものだった。今まで関わり合いがなかった人と、同じ本について語り合うと、今まで気にも留めなかったことが、大きな意味を持ってくる。本の表紙がこんなに深い意味を持つなんて、私は思いもしなかった。
全国大会に向けて、私は仲間といろいろな意見を交わした。行きの新幹線の中までそれは続いた。そうして練り上げたはずの意見も、他の参加者との話し合いの中で、対立し、融合し、覆され、変化していった。わずかな火花によって、爆発的に化学反応が進むがごとく、頭の中に意見が溢れた。それを言葉にする語彙力が乏しかったのが、とても悔しい。けれどここで体験したことは、私の自信となり、宝物になった。
本について語られる一人一人の意見が丸だった。そして丸と丸とが組み合わさって、二重丸になり、さらに花丸となっていった。世界が限りなく広がった。あぁ、本って素晴らしい。