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柊サナカさん最新刊、文庫オリジナル『喫茶ガクブチ 思い出買い取ります』より、第4話「婚活UFO」冒頭を無料公開!

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

喫茶ガクブチ 思い出買い取ります

柊サナカ

喫茶ガクブチ 思い出買い取ります

柊サナカ

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『人生写真館の奇跡』『天国からの宅配便』で知られる作家・柊サナカさんが、文春文庫に初登場! 書き下ろしの連作短編集『喫茶ガクブチ 思い出買い取ります』が刊行されました。

 舞台は東京・高円寺の、美咲兄妹が父から受け継いだ額縁店。様々な事情を抱える客から持ち込まれた〈思い出の品〉が、丁寧に額装されて生まれ変わり、新しい出会いや気づきに繋がっていく――。

 再生と希望を温かく描いた6篇が、収録されています。今回、4話目「婚活UFO」の冒頭を特別公開します。ぜひお楽しみください。


 トートバッグの中の物をチラチラ眺めながら、大橋一直は喫茶ガクブチへ歩いていた。足取りは重い。本当だったら帰ってしまいたい。でも幸せな結婚生活のためには、これは必要なことなんだ、と自分に言い聞かせる。

 十一月の風が突き刺すようだったが、買ったばかりのマフラーはやわらかく空気を含んでいる。カシミヤという素材らしいが、なるほどこれは値段以上に良いもののようだった。

 ついこの前、喫茶ガクブチの前にある、〔あなたの思い出買い取ります〕という派手な立て看板を見かけたときに一直は思った。自分の手を離れても、これだけたくさんある額の中から選んで買ってくれる人だったら、自分と同じように、これを大事にしてくれるのではないか。部屋に置いて眺めて、楽しんでくれるのではないか。そう思うだけで、涙もろい一直は鼻の奥がツンとなる。

 ごめんよ。

 そう頭の中で呼びかけながら、喫茶ガクブチへ入っていった。

 中に入ると、髪の毛が明るい色の、可愛い女の子がいて、こちらを向いてにっこりする。手のひらに汗が浮くのが自分でもわかった。

「あああの、看板、あの。看板を見て、表の」

 しどろもどろになってしまう。そのあまりのしどろもどろな様子に、他の客が注目してかすかに笑ったような気がして、一直はもう帰りたくなった。コーヒーショップに入るとしてもチェーン店が精一杯で、こんなおしゃれなカフェなんか、一人で入ったことがない。

 一直は中学高校と男子校で、大学は理工学部ということもあって女子とはまったく縁がなく、エンジニア職で周りは男ばかり、三十三歳の今になっても女性を前にすると緊張してしまう。こんなだから婚活でも失敗ばかりなんだ、と憂鬱になるが、沈んでばかりもいられない。今日は、大事なものを手放して、新しい自分になる日なのだから。

 店員に、「いらっしゃいませ、あ、看板をご覧になったんですね。よろしければ、説明させていただきます」と席に通された。

「ええとじゃあ、ええと、コーヒーを」

「すみません! うち、日本茶とかのお茶専門なんです。コーヒーも好きなんですけど、兄とお店開くときにそうしようって」と店員が困り笑顔になる。

 なんだか申し訳なくなった。でも、この女の子の店員は、愛想が良くおしゃべりも好きなようで、こちらを歓迎してくれているのがわかって、安心できる。一直はほんの少しだけ警戒を解いた。メニューには、ホットドッグのソーセージの代わりに、棒チョコがどんとのって、上からもチョコがたっぷりかかったチョコドッグがあったが、今日は食欲があまりないのでやめておく。

「あ。すみません。じゃあ、この“今日のおすすめ”のお茶ください」

「ウーロン茶お好きです?」

「はい」

 店員がにっこりした。もし今、婚活中じゃなかったら、毎日通ってしまうくらい素敵な笑顔で、いいなあと思う。自分がもうちょっと背が高くて、もうちょっと痩せていて、もうちょっと髪の毛が多かったなら、気の利いたことでも言うのだが、返事の他は石のようにおし黙っている。

 出してくれたウーロン茶は、今まで飲んだどんなウーロン茶よりも、味に奥行きがあるような気がして、まじまじとカップの中を見つめた。一口飲んで、「美味しい」と、つい口に出して言っていた。

 店員が、嬉しそうな顔になる。「凍頂ウーロン茶です」と、いろいろ台湾の産地のことを説明してくれた。高い山で採れるそうだ。店員の朗らかな様子に、特別美味しく感じる。

「では、買い取りの件、説明させていただきますね」と切り出されて、一直は、焦ってトートバッグを手から落としそうになりながらもキャッチし、中から大事そうに、あるものを出した。

「あ。可愛い」

 店員が声を上げる。

 手のひらの上にあるのは、古いブリキのおもちゃのUFOだった。大きさは十センチ、見た目よりも重みがある。UFOといえばの決定版、円盤の下に三つの突起がついている、由緒正しきアダムスキー型をしている。古い物だから、ところどころ塗装が傷んだりしているが、それも味があると思う。

「こういうの……額に、できます? 思い出を売るっていう、あの……」

「はいもちろんです。額自体にも深さがあって、立体物を入れられるものもあります。アクリルの箱みたいな立体額もありますし」と店員が元気よく言う。店員が示す方を見れば、野球のボールを収めた箱のような額があった。それを見ながらも、一直の気持ちは沈んでいた。ある意味、だめです、と言われることを期待していたのかもしれない。

 店員は、売る物について、“額装師の兄がいろいろ伺いたいことがあるので、お手数ですがカフェが休みの時間帯に一度来て欲しい”と言う。インタビューでもするみたいに、このUFOについていろいろ聞かれるらしい。この女の子なら話しやすいし、兄というのは向こうにいる、背が高くて痩せていて黒髪がふさふさしているのがそうみたいだが、「バーベキューしようぜ! 飲も飲も!」とか絶対言わなそうな雰囲気に、自分と同種の陰を感じとって、ちょっと安心した。

 それで打ち合わせの予約をし、その日はUFOを持って帰った。街並みは冬支度が始まり、気の早いところはもうクリスマスの飾り付けをしている。年末に向けて、歩く人々も街も少し忙しそうに見える。

 一直は自分のマンションに帰ると、すぐにUFOをトートバッグから出し、アダムスキー型UFOが空を飛ぶ様子そのままに浮遊させたり、「シュイン」と言いながら稲妻のように素早く動かしたりした。

 頭の中に悲しみが満ちてくるが、それを振り切るようにして、UFOを想像の宇宙に飛ばす。

 ありのままを受け入れてくれる、なんていうものは幻想なんだから、歩み寄りが大切なんだと――

 約束の日の夜に行ってみると、話通りに一階の喫茶ガクブチの方は閉まっており、横の階段に、かすかな明かりが点っているのが見えた。こんな寒い日にはタイル地が寒々しく思えるが、ぽってりした緑色に、丸く明かりが点っている様子はなかなか趣があった。この上の、ミサキ額縁店の方に行けばいいんだったな、と思って、一直はトートバッグの中を見た。アダムスキー型のUFOには目があるわけじゃないが、目が合った、という雰囲気を感じる。また、一直は心の中で、ごめん、と詫びた。 

 きっとこのUFOも、わかってくれるだろうと信じて。

 二階のミサキ額縁店は、喫茶ガクブチとは違っており、額や厚紙のサンプルがたくさん置いてあって、いつか見た画材屋みたいだと一直は思う。額縁店に足を踏み入れたのは初めてだ。そろばんで八段を取ったときに両親が合格証書を額に入れて飾ってくれたが、額装と言えばそれくらいで、それでもこういう本格的な額縁店ではなく、ホームセンターかどこかで買ってきた額のようだった。

 兄妹の兄の方が名刺を出して「美咲伸也です」と挨拶するので、一直も挨拶する。いいよな、と思う。自分と同じように陰の成分が濃い者でも、顔かたちがすっきりしていると、クールとか言われるのに、自分のような丸っこい眼鏡の男が黙っていたら、陰気なミニオン呼ばわりされるのが納得いかない。妹の方は真日留と言うらしい。今日も可愛い。こうやってふたりを並べてみると、どことなく似ているのに方向性は違っていて、銀色と金色を並べたみたいでいいと思った。

 UFOを見て、「いい感じのUFOですねえ」と真日留がまた褒めてくれたので、照れた後に悲しみが静かにやってきた。

「はい。こちらはアダムスキー型UFOで、UFOブームの先駆けの時代に作られたものです。アメリカの一九五〇年代のものになります」

 伸也が白手袋をはめ、手のひらに載せるようにして、じっくりUFOを見ている。

「このころのアメリカの玩具には独特の味がありますね。細工もとても手が込んでいます。貴重な物だと思うのですが、本当にいいんですか」

 念を押すように伸也が聞いてきた。このUFOは、父が十歳のクリスマスに、アメリカのアンティーク市を探し回って買ってくれた物だから、一直にとってはとても貴重な思い出だった。一直は一目でこのUFOを気に入った。心臓を撃ち抜かれたと言っていい。この丸みのある形、青と黄色の色合い、円い窓、どこをとっても一級品のUFOだ。

 真日留がお盆に湯気の上がる急須とお皿を持ってきた。

「大橋さんがいらっしゃるのを意識したわけじゃないんですけど、今日はキャラメリゼどら焼きを作りました。そういえば、どら焼きってUFOに似てますよね」確かにどら焼きを横にすると円盤型UFOによく似ている。

 真日留が、「もしかして、UFOが日本で見つかっていたら“空飛ぶどら焼き”って言われてたかもしれないですよね」なんて言っている。キャラメリゼどら焼きは、食べるとざくりという砂糖の層があって驚いたが、甘くておいしい。

 伸也は白手袋をはめた手で、注意深くUFOを机に置いた。

「持って来てくださって嬉しいですが、正直、うちのお店に出すより、ヴィンテージの玩具専門店の方が、マニアの方も多くいるでしょうし、もう手放されるとお決めになっているのでしたら、そちらの方が、いろんな面でいいかもしれません」

 と、伸也が申し訳なさそうに言う。この男、なんとなく信用がおけるな、と思った。

 ヴィンテージ専門店に出そうとは自分も思ったが、なかなかそうもいかないのだった。

「ブリキの玩具のコレクターはいますが、クラシックカーのミニカーやロボット、特定のアニメのキャラが多くて、UFOに関しては、マニアの層もそう厚くはありません。まず、UFO自体の年代が比較的新しいものなんですね。一九四七年、六月二十四日にケネス・アーノルドがワシントン州のレーニア山の近くで目撃した不思議な物体が、UFOの始まりですから。ちなみにその六月二十四日は“UFOの日”だそうです」

「UFOの日!」真日留が面白そうに言う。「日本でもバレンタインデーみたいに何かやったらいいのに。どら焼きを食べるとか」

 その軽いノリに笑ってしまった。兄がたしなめるような目で見ている。

「でもまあ、価格としても、需要がそれほどなければ、それなりの値段に落ち着いてしまいます。UFOばかりを集めているのは、日本ではわたしくらいしかいないかもしれません……」

「あ、これ以外に、まだお持ちなんですね。どのくらいあるんですか」と真日留が聞いてくる。「ええと……ミニUFOも合わせたら、二百くらい?」と答えたら「に、二百ですか! マニアすっごい!」と、むせそうになっていた。

「すごい数ですね。それだけ集めるのは大変だったでしょう。コレクションの最初のきっかけはなんだったんですか」と伸也が問う。

 一直は机の上のUFOを見つめて、お手拭きで指を注意深く拭くと、そのつるりとした表面にそっと触れた。

「父からのプレゼントだったんです。十歳の。そのころ、まあ今もですが、僕は宇宙に興味を持っていて。“ほらUFOだよ”って。そこから夢中になりました」

「宇宙にはロマンがありますものね。まだわかっていないことも多いですし」と真日留が言う。

「そうなんです。この広い宇宙のどこかに、宇宙人が存在する可能性だってまだあります。UFOはその象徴なんです」

 十歳のときにもらった玩具のことは、興味が他に移って忘れていくのが普通だ。それでも一直はブリキの、このUFOがずっと大好きだった。中学生になっても、お年玉を貯めて買うのはUFOだったし、大人になって就職してからも、給料をつぎ込んで昭和のおもちゃのUFOを集めに集めた。懇意のアンティークショップからは、いまだに“いいUFOが出ましたよ”と連絡が入る。

 真日留も白手袋をつけて、手に取ってじっくりとUFOを眺めている。

「でもこれ、大橋さんは、本当はお店に出したくないと思っているんじゃないですか。うちも無理にとは言いませんし、今、気が変わったとしても大丈夫ですよ」と真日留が言い出し、心を見透かされていたようでどきりとする。

 一直は覚悟を決めた。

「いいんです。きっぱりUFOとはお別れしないと」

「お別れをしないといけない理由、聞いてもよろしいでしょうか。さしつかえない範囲で大丈夫ですので」と伸也が言う。

 しばらく言いよどんでいたが、ここはやはり、本当のことを言わなければならないと思った。

「実は……今回初めて、婚活が、うまくいきそうなんです」

 婚活は十七連敗中で、初めて成功しそうなのだ、なんてことまでは言えなかった。十七連敗はお見合いでお断りされた数なので、婚活パーティーで不成立だった数を合わせると、もっと多い。

「おめでとうございます」と真日留に気の早い祝福をされて、ははっと乾いた笑みが出た。

文春文庫
喫茶ガクブチ 思い出買い取ります
柊サナカ

定価:803円(税込)発売日:2025年08月05日

電子書籍
喫茶ガクブチ 思い出買い取ります
柊サナカ

発売日:2025年08月05日

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