芸術にすべてを懸けた人間の狂気と情熱
──芸術監督の誉田と、画家の豪の人格が強烈でしたね。芸術のためなら人の気持ちを踏みにじるところがある。
芦沢 芸術家が自分の目指す表現に向かっていくことって、すごく罪深いなとも思っていて。その時に何が犠牲にされ削られていくかにも、興味があったんです。
──兄弟という関係性も重要なテーマですね。
芦沢 誠と豪の間の確執は、「あいつばっかり何でもできて」とか「あいつばっかりお母さんに構われて」みたいな感情とは違うだろうなと思っていました。それらも関係ないわけではないですけれども、それとはまた違う、後ろめたさのようなものが間に横たわっているんじゃないかと。面と向かって話し合えば解消するかもしれないけれど、後ろめたいからこそそれができず、どんどん硬直化していってしまうわだかまり、というか。よどんだ空気が解消できないまま、言葉が封じられていくというところも、今回の主題のひとつです。
──犯人捜しのミステリー、開幕までのタイムリミットなどスリル満点のなかで、それぞれの葛藤が鮮明になっていく。その見せ方とテンポがすごく巧いですね。
芦沢 師弟関係や恋愛関係にある人間同士のあいだに生まれる“執着”や、表現を追求していく中で踏みにじられていくもの、そういうものへの興味がバラバラにあって、それらが構成を決めた瞬間にカチャカチャとハマっていきました。冒頭で殺害シーンが出てきて、その後にいろんな人が追い詰められていくので、ミステリー読みの人には「これはクライマックスのシーンを最初にちょい見せしたパターンね。誰が殺人を犯すのかな」って思ってもらえるんじゃないか、と考えました。
ただ、今回は20回以上プロットを書き換えたんです。書いてみて初めて「このシーンの後にはこの人のシーンが来たほうがいいぞ」とか、「ここの引きの後にはこっちが来たほうが効果的」というのが見えてくるので、構成がどんどん変わりました。書いては捨て、書いては捨て……という感じでした。
──そんなに書き直したのですか! そうしているうちに当初のイメージからかけ離れた小説になる可能性もあったのでは?
芦沢 私の場合、長篇は「これがやりたい」という核がないと、直しすぎて空中分解してしまうので、その核だけはしっかり見つけてから書き出すようにしています。今回の「誰が殺人を犯すのか」という謎が物語を牽引していく構成は、映画の『フォックスキャッチャー』を観たことがきっかけで思いつきました。
──えっ。財閥の御曹司が作ったレスリングチームに入ってオリンピックを目指す兄弟の映画ですよね。実際にあった有名な殺人事件を描いている。
芦沢 そうです。私、実はその殺人事件そのものをよく知らなかったんです。でも、殺人事件を描いた映画だということだけは知っていたので、「誰が誰をいつ殺すんだろう」と思いながら観たんです。「来た来た、ここね! ……あれ、違った」というのを繰り返しながら観るのが面白くて、こういうのをやってみたいと思ったときに、この構成だからこそ表現できるものというのは何だろう、という核が見つかって。