兄と「犯人当て」を競い合った小・中学生時代
――そもそも作家になりたいと自覚した時って、ミステリー作家を考えていましたか? 創作をはじめたのはいつくらいですか。
芦沢 最初までさかのぼると、幼稚園の時に友達と交換日記で、「ふたりで旅に出ました」みたいな空想のお話をお互いに作って書いていたんです。雪山に登ってコテージに閉じ込められたみたいな話とか、ふたりでアイドルになる話とか。今思えばリレー小説ですよね。それがすごく楽しかったです。
――学校の授業で古典名作の続きを書かされたこともあったとか。
芦沢 そうそう、『舞姫』の続きを書いたりしました。あと、中2の時に戦争体験のインタビューをして、それを小説のかたちにしなさい、という授業もありました。私は祖母の話を聞きました。今やあの祖母も祖父もいないので、あの時聞けてよかったなと思いますね。だから、作家になりたいと思う前から、書くことに対して全然ハードルがなかった。実はミステリー要素としては、小学生時代に兄と『金田一少年の事件簿』を読んで、週刊少年マガジン誌上で出題される犯人当てクイズに夢中になっていたんですけど、そのうちに自分たちでも犯人当てクイズを作って出題しあうようになったんです。兄は物理トリックが得意で、全然勝てないんですよ。それで、中学生の時に、兄への犯人当てクイズとして小説を書いたんです。それがはじめて小説を書こうと思って書いたものかもしれない。陸上部で次々に人が死ぬ、みたいな話でした(笑)。
――あ、原点は本格ミステリーでしたか(笑)。
芦沢 でも兄に「これはあのトリックの焼き直しだな」と言われ「その通りです」となって。それで書くのをやめました。その後、高校生になって、これまた宿題で、何でもいいからコンクールに応募しなさいというのがあって。読書感想文や科学技術の自由研究系など応募できるコンクールの一覧を渡されたんですが、そこに小説の新人賞があったんです。これは面白そうだと思って書いて応募してみたら、一次を通って、それで調子に乗ったんですよね。
――何の賞だったんですか。
芦沢 雑誌『コバルト』のノベル大賞です。コバルトなのにファンタジー要素がゼロの、超現実的な青春ものを書きました。それが一次を通ったとき、自分が書いた物語を少しでもいいと思ってくれた人が一人はいるんだと思ったら、ものすごく嬉しくなって。「作家になりたい」と明確に考えたのは、このときでした。でも、そこからが長かった。新人賞への投稿を繰り返すようになったんですが、私、ずっと純文学系の賞にばかり応募していたんです。でもだいたい二次か三次選考くらいには残るんですけど、そこから先にどうしても行けなかった。
ある時、東野圭吾さんのインタビューを読んでいたら、その時私が書こうと思っていた題材が東野さんの小説でもモチーフに使われていたんですけれど、それは東野さんのその小説のいろんな要素のひとつにすぎないと分かったんです。なのに私は、その題材だけをメインに書こうとしていました。ああいうすごいプロが全力で出し惜しみせずに書いているのに、それ一本で書こうとするのはおこがましかったんじゃないか、とハッとしました。