
〈「いつ私に手が伸びてもおかしくなかった」プーチン氏から指名手配を受けた日〉から続く
ロシアによるウクライナ侵攻とイスラエルによるパレスチナへの非人道的な攻撃。目まぐるしく国際情勢が変化するなか、この二つの戦争に向き合い、プーチンとネタニヤフに逮捕状を出した国際刑事裁判所(ICC)。ニュルンベルク裁判、東京裁判という二つの軍事法廷裁判にルーツをもち、国際平和秩序を守ろうと奮闘してきた裁判所のトップを務める赤根智子さんが、二つの戦争をはじめ国際紛争に対峙する日々、今ある危機、そして未来への責任と夢を語る。(前後篇の後篇/前篇から読む)
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プーチン大統領らへの逮捕状を発付 子どもを連れ去った容疑
2023年2月22日、カーン検察官がロシアのプーチン大統領、マリヤ・リボワベロワ大統領全権代表(子どもの権利担当)に対する逮捕状を請求し、私たち予審第二部が審理することになりました。状況を考えれば、捜査開始から1年弱で逮捕状請求というのは、ずいぶん早かった。現在進行形で様々な出来事が起きている中で、対象となる事件を選んで、さらに被疑者を特定するのは大変だったに違いありません。ウクライナが協力的だったので、多くの情報を迅速に集めることができたのではないでしょうか。

プーチン氏らにかけられていたのは、ロシアが占領したウクライナの地域から市民を不法にロシアへと連れ去った戦争犯罪の容疑です。当然のことながら、彼らがその事件に関与を示す証拠がなければ逮捕状の請求はできません。私からは証拠の内容は何も言えませんが、私たちは、検察局が収集した数々の証拠を吟味しました。それがローマ規程上の占領地域からの連れ去りにあたるのかどうかを法に照らして検討したわけです。ちなみに、カーン検察官は、私たちが逮捕状を出した後に出した声明の中で、連れ去った子どものロシア国籍取得に関する大統領令にプーチン氏が署名していることなどの事実を挙げて強調していました。
私たちは、逮捕状の請求を受けた当初から、これが極めて重大な案件であると意識していました。3人で多くの議論を交わした記憶があります。ICCは2009年にスーダンのオマル・アル=バシール大統領(当時)に逮捕状を発付したことがありますが、私たちは現職の国家元首が被疑者となる事件など経験がなかったので、かなりの緊張感を持っていた。
ただ、議論したのは、あくまでもその事実が彼らの関与した犯罪であると信じるに足りる合理的理由があるのか、そして、逮捕状を出す必要性があるのかで、それらをローマ規程に従って判断したということです。当然のことですが一切していません。つまり、逮捕状を発付すればその結果、ICCの決断に対して政治的な反発など「何か起きるだろうな」と思っていたのは確かです。でも、だからといって「出すのをやめておこう」とはならない。私たち裁判官は、法にもとづいて判断する以外の選択肢を持っていないのです。
3月17日、3人の合意で、プーチン氏とリボワベロワ氏に対し、ウクライナから子どもを連れ去った容疑で逮捕状を発付する決定を出しました。

法律上は、この罪が成立するためには、被害者が子どもでなければならないという要件はありません。「市民を連れ去った容疑」であればよい。ただ、被害者が大人の場合は、兵士など戦闘員の可能性を排除しなくてはなりません。そのため、被害者としての対象の線引きが難しいのに対して、子どもは、明らかに保護されるべき非戦闘員である市民であると認めやすいため、逮捕状の容疑は子どもの連れ去りとなっている。また、そのような人たちをその正当な保護者や親元から引き離して連れ去ることの重大性は明らかであると、判断しました。詳しいことは申し上げられませんが、事実に関して、あるいは法律上の検討はさまざまなことに及びました。
請求から約1カ月で逮捕状を発付するのは、かなり大変でした。しかし他方で、戦争が進行中で、子どもの連れ去りはその後も続いているとする報道もあったので、なるべく適切な判断を適切な時期に出す必要があった。サイバー攻撃に備えて、あえて紙の書面でやり取りをしたりしていたので、手間もかかった。ものすごく忙しかったのを覚えています。
「旧ソ連諸国の上を飛ぶ南回りは危ないから、北回りのルートで帰ってくれ」
ロシア側はただちに反発して、まず5月にカーン検察官と予審第二部の裁判長をしていたアイタラ判事を指名手配しました。7月に私、9月にピオトル・ホフマンスキICC所長(当時)と裁判官2名、11月にもう一人の予審第二部のウガルデ判事など次々と裁判官たちが指名手配されています。
私の場合、ただちに日常生活が変化したわけではありませんでした。NHKのニュースで事実を知ったあとも、それほど緊張感なく日本で休暇を過ごしていて、大学の同窓会では「あ、指名手配犯が来た」とからかわれたりしていました。
他のICCのメンバーのほうがその状況をもっと重く受け止めていたようです。私が手配されると、すぐにハーグの本部から電話がかかってきました。本部の人は、どうすれば私が安全にオランダへ戻れるかと、すごく心配してくれていた。
私は、日本とオランダを行き来するときに、いつも同じ航空会社を使っています。直行便だからです。そのとき本部の人からはこう言われました。
「旧ソ連諸国の上を飛ぶ南回りは危ないから、北回りのルートで帰ってくれ」
2021年にベラルーシが旅客機を強制着陸させてメディア関係者を拘束したことがあった。本部の人は、最悪のケースを懸念していたようでした。ところが、航空会社に確認してみると、南北どちらのルートになるかは当日の天候などの条件で決まるらしい。ICCが「なるべく北回りで飛んでほしい」と航空会社にお願いをしたら、「天候は私たちにコントロールできません」と言われてしまったそうです。それで、本部の人は「アメリカ経由で帰ってくれ」と言い始めた。私は「死ぬほど疲れるからイヤ」と抵抗しました。何度も押し問答をした記憶があります。
結局、私は予約した便に乗ってしまいました。確認してみるとベラルーシの上空は飛ばないようだし、大丈夫だろうと思った。結果的にそのときのルートは北回りでした。以後、何度か南回りのフライトにも乗っていますが、いまのところ無事です。

このときに実感したのは、ヨーロッパの人たちと日本人の危機管理など意識の差です。他国と地続きの場所で暮らしている彼らは、セキュリティについての感覚が私たちとまるで違う。たとえば、マフィアに狙われた経験もあるアイタラ判事は、早い段階から「ICCとオランダ政府が連携して私たちの身辺警護をすべきだ」と訴えていました。
その後、私にも警護がつくようになりました。当時のICC幹部がオランダ政府に働きかけたり、日本政府にも何度も頼んでくれたらしくて、それで、安全対策が進んだと聞いています。日本では、メディアの皆さんも「赤根さんを守れ」と声を上げてくれたそうです。帰国した際にも必要に応じて警護についてくれるようになりました。
現在の私は、なるべくオランダから出ないようにしています。そもそも外出自体をあまりしません。もし何かあったら、ICCのみんなに迷惑がかかってしまうからです。どうしても必要な用件を除いては、自重しています。
プーチン氏の訪問を受け入れ、身柄を拘束しなかったモンゴル
ローマ規程締約国は、逮捕状を出されている人物が国内に立ち入った場合には、ICCに身柄を引き渡す義務がある。これはもちろんプーチン氏のケースにも当てはまります。
2023年8月、主要な新興国で構成されるBRICSの会議が行われた際には、主催国の南アフリカがロシア側に対面出席を見合わせるよう要請したのか、それとも自重したのか、プーチン氏はオンラインで参加しました。南アフリカは締約国です。外交について私は詳しくありませんし、コメントする立場にもありませんが、実際問題として拘束するのが難しいとなれば、「来ないでくれ」という話になるのかもしれません。

一方で、同じく締約国のモンゴルは、2024年9月にプーチン氏の訪問を受け入れ、身柄を拘束せずに出国させたため、大きな問題になりました。ローマ規程第97条は、締約国が義務を履行できない事情がある場合、「この事態を解決するために裁判所と遅滞なく協議する」と定めていて、実際、モンゴルからは予審第二部(このとき私は既に所長に就任していて、在籍していません。代わりに、チュニジア出身のハイケル・ベン・マフード判事が加わりました)に事前の相談がありました。ただ、連絡が来たのが訪問の直前、ギリギリのタイミングだったため、予審第二部は迅速に対応し、モンゴルに意見提出などを求めたものの十分な協議ができず、モンゴルは対策を講じないまま、この件が起きたのです。
ICCは、ローマ規程第87条の規定に基づいて、モンゴルの一連の対応は「非協力」にあたると認定して、この問題を締約国会議に付託しました。結局、締約国会議が何らかの措置を取ることはありませんでしたが、出席した国からは非難の声が数多く上がりました。モンゴルは、たくさんの書面を予審第二部に提出したり、ハーグで各国の大使を集めて自分たちの立場を説明したりと、弁明に追われることになったのです。
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