クイズと小説の分岐点
――それに、ミステリーを読む時、自力で犯人を当てようとするタイプですよね?
米澤 全作品必ずというわけではないですが、そうです。学生時代、犯人当てが一番面白かったのは高木彬光の神津恭介シリーズですね。小説が進んでいって解決篇に移るだろうというタイミングで、ワトソン役のノートが出てきて、どこが問題点だったのか、全部箇条書きで書かれるんです。そんなことされたらもう、「解いてみろ」と言われているようなものじゃないですか。『人形はなぜ殺される』などは完全解答できました。
――ご自身がミステリーを書く時も、読者が考えれば自力で解けるように書かれているわけですよね。
米澤 はい。最近は自分で解こうとする人は減っているといいますが、それでも、ミステリーの美学は読者が解けるように書くことだと思っています。
――作品によっても違うとは思いますが、着想として、何が最初にありますか? トリックなのか、犯人の動機なのか……。
米澤 最初ではないかもしれないけれど、わりと初期に意識するのは犯意です。犯人は何がしたかったのか。そして、それをどう隠そうとしたのか。つまり自分にとって問題になるのは探偵よりも、犯人の意思なんです。たまに、犯人は何も考えていなかったけれども偶然が重なって奇妙なことが起きるというミステリーはありますし、そういう話ももちろん好きです。ただ、私はどちらかというとそういうのはバリアント(変型)だと思っていて、犯人に意思があるのがスタンダードだと思っています。だから「この話の犯意はなんだろう」「読者にとって何を解くミステリーなんだろう」というのは、わりと初期にチェックすることが多いです。ここが抜けると、ミステリーじゃなくなってしまうんですよね。なんとなくオチがある話というふうになってしまう。読者としてはそれも嫌いではないですけれど。
――今、ものすごく納得しました。正直、ミステリーを読んでいて、最後に唐突に「実はこっちが犯人でした」というどんでん返しがあって白けることがあるのですが、それはだいたい犯意がきちんと描かれてないからなんだな、と思い当たりました。
米澤 サプライズを重視しすぎると、そうなりがちです。そうしたビックリ箱はビックリ箱で面白いですけれども、でも、ミステリーであるからには、読者に「このビックリも論理的に気づけたはずだったのに」という悔しさがないといけない。そして、できればそのビックリも偶然できたものではなくて、犯人が考えに考え抜いて、絶対に自分の犯行だと知られたくないといって頑張った結果であると良いですね。たとえば犯人が、「こいつさえ殺せるなら後は自分がどうなってもいい」と思っているというお話で、自分の犯行が露呈しないようなトリックを施していたらおかしくないですか? どうなってもいいなら相手の家に行って、刺して、その場で110番通報して「私が刺しました」といえばいいわけです。自分が犯人であることを知られたくない、そのためにあらゆる知恵の限りを尽くす、そこにミステリーの妙味があるし、作家はそれにふさわしいお話というのを用意しなきゃいけない。ここがやっぱり、クイズと小説とを分けるところだと思います。なかなか思い通りにはいかないんですけどね。
――読者も考えれば真相が分かるように書くというのは相当難しいと思います。話を組み立てる時に、創作ノートは作りますか。
米澤 作ります。起きることを順番に箇条書きにしておくことが多いです。順番に書くと、「あ、待てよ、この出来事はここで起きなきゃいけないけれど、読者が気づくように伏線を張っておかなくてはいけない」ということに気がつくので、そこから逆算して伏線を補うといったことは多々あります。