吉田修一が描く、長崎。原爆の記憶――。昭和のスター女優と青年の交流が、私たちをやさしく包み込む

作家の書き出し

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吉田修一が描く、長崎。原爆の記憶――。昭和のスター女優と青年の交流が、私たちをやさしく包み込む

インタビュー・構成: 瀧井 朝世

女優・和楽京子の一生は、戦後日本と呼応している

――ああ、なるほど。本作は、鈴さんの活躍を追いながら、映像業界の変遷を俯瞰できる面白さもありました。彼女は戦後間もない頃は、生命力にあふれた肉体派として強い女性を演じ、東京オリンピックを境にテレビが各家庭に普及するとドラマでお母さん役をやるようになり、やがて「金妻」を彷彿させる、主婦が不倫に走る『日曜日の欲望』というドラマにも出演する(笑)。その時代ごとに求められているものにうまくハマっている印象です。

吉田 鈴さんの一生と、戦後の日本の流れがなんとなく呼応するようにしたいなとは思っていました。おっしゃる通りで、男社会だった映画界において、その時代時代で求められる女性像があったんですよね。戦争が終わったすぐ後はああいう肉体派女優が必要とされて、その後は家庭的なお母さんが望まれ……みたいな状況は意識しながら作っていきました。

 映画の黄金期って、その国の成長期と重なるんですよ。日本は1950年代に映画もぐーっと成長して、その頃に作られた作品は世界的にも評価が高い。他の国を見ても、たとえば台湾が民主化に向かう頃にはホウ・シャオシェンやエドワード・ヤンが活躍しているし、香港ではイギリスから返還される頃にウォン・カーウァイが世界的に評価され出しているし。国が大きく変わろうとしている時期の映画は、エネルギーに満ちていてすごく面白い。

――吉田さんはもともと、幅広く映画を御覧になっていますよね。昔の日本映画で好きな監督や作品は?

吉田 あちこちで言っているんですが、成瀬巳喜男監督の映画は大好き。決して派手ではないけれど、日常におけるドラマティックなことが洗練された形で表現されているんです。たとえば『女が階段を上る時』という映画は、主演の高峰秀子さんが演じる銀座のバーの雇われマダムが、ちょっと男に騙されるというだけの話なんですけれど、これがなんとも味わいがあって。騙される顚末や登場人物ひとりひとりにリアリティがありますし、ちゃんと最終的に“階段を上る”という、女性の力強さを感じさせる作りになっている。成瀬作品は、人間が生きていく上でのしぶとさみたいなものを感じさせるところが好きですね。

二十代男性と八十代女性の恋

――鈴さんの過去と並行して描かれるのが、現代パートでの鈴さんと一心君との交流です。一心君は桃ちゃんに恋していますが、次第に鈴さんにも惹かれていくようになりますね。

吉田 僕はいつもそうなのですが、最初からプロットを固めているわけではなく、書き進めていく中で登場人物の声を聞き、心情の変化を決めていくんです。自分が一心君になって、目の前にいる八十代の美しい女性がどのように生きてきたのかを知っていく感じで。

 最初のうちは、一心君は桃ちゃんに振り回されているので、鈴さんどころではないんですよね。そうスタートさせたのがよかったんだと思う。一心君と桃ちゃんがうまくいけばいいのにと応援しているのに、彼らの関係にはどうしても齟齬が生まれてきて、もどかしい。そんな時に横にいるのが鈴さんで、だんだんこちらも、一心君と鈴さんが上手くいけばいいのにという気持ちになってきた。その過程で、二十代男性と八十代女性の恋愛物語が、なぜ成立しづらいんだろうと考えるようになりました。最後のほうで一心君が「眠れない時に鈴さんのことばかり考えている」って言うじゃないですか。その時に、ふっと八十代の女性って眠れない時に何を考えるんだろうと思ったんですよね。昔、僕の叔母が「死んだ人のことばかり考える」と言っていたのが印象的で、それを鈴さんの台詞として書きました。あの言葉を思い出したことで、歳があまりに離れた二人には、やっぱり恋愛が成立しづらい理由はあるものなんだなと思いました。

――二人が心を通い合わせる部分もありますよね。実は一心君は、小学生の頃に妹を病気で亡くしています。

吉田 鈴さんと一心君が共鳴するものはなんだろうと考えた時に、やはり、大切なものを喪った体験だろうなと思いました。

 直接的に原爆の話を語ったところで、経験したわけでもない読者には他人事として受けとめられるだろうと感じていたんです。もっと自分事として向き合えるようにするためにはどうしたらよいかと考えてみたときに、大切な人との別れという経験なら、ほとんどの人が持っているのではないかと。そこを丁寧に紡いでいけば、描きたかったものは伝えられるのかな、と考えました。

 佳乃子さんも、一心君の妹も、生前に「自分は被害者として死にたくない」と吐露します。体験していないので安易なことは言えませんが、もし自分が若くして死ぬとなって人生を振り返った時、こうやって死ぬために生まれてきたわけじゃないだろうって思う気がするんです。その悔しさみたいなものが、ああした言葉として出てきました。でも、難しいですね。原爆は本当は、僕なんかが語れるような話じゃないので。自分なりに考えてはいるんですけれど。

――鈴さんが米アカデミー賞の贈賞式で語るはずだった、幻のスピーチ原稿がありますよね。あの内容は最初から考えていたのですか。

吉田 最初から考えていたわけではないのですが、途中からはっきりと、鈴さんから一心君に何かメッセージを託したいと思うようになりました。

――それがすごくよかったです。それにしても、原爆のことを書くところから始まり、女優の一代記を作り上げ、楽しく読ませた後に最後に書きたかったことをちゃんと伝えていて……。出発点を聞いて、改めて、この構成のすごさを実感しました。

吉田 そういうふうに読んでもらいたかったので、嬉しいですね。

――最近は題材をどのように選んでいるのですか。書きたいテーマのストックはあったりしますか。

吉田 一応、こういうのが書きたい、というモチーフを常に2つ3つは持っています。「ラッキー・ガール」もそのひとつでしたし。連載の依頼が来て担当の編集者と話しているうちに、「あれを書くならここだな」と決まるパターンが多いです。

――吉田さんは、時事問題や実際の事件からヒントを得たり、影響を受けた作品も多いですよね。

吉田 そうですね。『ミス・サンシャイン』は、連載中ずっとコロナの時期だったので、その影響は少なからずあったと思いますね。コロナの話が登場するわけではありませんが、何かしら力が働いた気がします。たとえば、なんでもない時期よりも、コロナ禍で「寂しい」と書いたほうが、書く方も受け取るほうも、それを肌で感じるというか。言葉としては同じでも、受けるニュアンスが違ってくる気がします。だから今回、出来上がったものを読み返して、なんか、優しい作品だなと思いました。

――本当に優しさを感じる作品です。吉田さんは今年、作家デビュー25周年ですよね。コロナ禍もそうですが、時代の変化について思うことってありますか。

吉田 昔から言っているんですが、僕はいつも、昨日より今日のほうがよくなっているという感覚があるんです。そんなことないよって思う人も多いだろうけれど、僕自身の感覚としてはそう。もちろん悪い方向にいっていることもあるけれど、そんなに悲観はしていないんです。

 だって、若い頃に比べて、本当に嫌な人って減ったと思いませんか。昔はなんでこんなにデリカシーがないんだろうって人が周りにいっぱいいたけれど、最近は意地悪な人がどんどん減っている気がします。


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