河﨑秋子インタビュー「Bプラスで満点、それが介護――等身大の家族の物語に込めた想い」

作家の書き出し

作家の書き出し

河﨑秋子インタビュー「Bプラスで満点、それが介護――等身大の家族の物語に込めた想い」

インタビュー・構成: 瀧井 朝世

介護と向き合う日々

——新刊『介護者D』、他人事ではない切実なテーマだと思いながら読みました。東京で派遣社員として働いていた30歳の猿渡琴美さるわたりことみが、脳卒中の後遺症で左足に麻痺まひが残った父親を介護するため、札幌の実家に戻る。父親との生活にストレスを感じながらも、「推し」に癒しを求める彼女の日常が描かれます。

河﨑 身近な世界を描いた現代劇というのは、私にとって初めての試みでした。しかも、ほぼひとつの家の中で完結するという。実はこれ、自分の経験を物語の中に残せるなら残したい、という思いから始まったものだったんです。

 先に私個人の事情をお話ししますと、私の父も12年前にくも膜下出血で倒れ、いわゆる寝たきりの状態に。今までの記憶も失くし、新しい記憶を積み重ねることもできなくなっています。父はそれまでなんでも自分でやってしまう人だったので、家族にとってはいきなり世界が180度変わりました。

——河﨑さんのご実家は酪農家で、ご自身も2019年に専業作家になるまでは羊の飼育をされていましたよね。その間、お父さんの介護もされていたんですね。

河﨑 そうなんです。父が倒れた時、お医者さんに「このまま植物状態になる」「長くないかもしれない」と言われ、ならば家で面倒を見ようと家族一致団結し、訪問診療や訪問看護の方の力をお借りしながら私も10年間、在宅介護をしてきました。

 幸いにして父の病状は徐々に改善し、いまでは顔見知りの人に対して安心した表情を見せたり、少しずつですが口から物を食べられるようにまでなりました。ただ、母の年齢のこともあり、さすがに家族の負担が大きくなったので、今年の8月に特別養護老人ホームに入りました。コロナ禍なのでなかなか父と面会はできないのですけれども、伝え聞く限りでは職員の方によくしていただいて、本人も快適に過ごしているようです。

 ……というのが、介護に関しての作者の現実的な状況です。とはいえもちろん、この小説はフィクションですので、登場人物たちとは家族の状況も価値観も違います。

——実際、河﨑家の状況と、小説内の猿渡家の状況はまったく違いますね。本作の主人公、琴美は5年前に母親を交通事故で亡くしています。父、義純よしずみは脳卒中の影響で、下半身に麻痺が残っている。人に頼ることが苦手な父はヘルパーさんを呼ぶのを嫌がり、「雪かきに来てくれないか」と言って琴美を札幌の実家に呼び戻すんですよね。

河﨑 ええ、そうです。まず、介護する側として自分とは違う価値観の人、介護される側としてうちの父とは違う状況の人をそれぞれ描こう、というのは決めていました。たとえば、ご本人やご家族によっては外部に助けを求めることに抵抗を覚える方もいらっしゃいますよね。そういう頑固なお父さんが子供を呼び寄せたいとなった時、最初に何を頼むのだろうかと考えたら、北海道の一戸建ての家なら雪かきだな、というイメージから物語を膨らませていきました。

——琴美は東京で特にやりたいことがあるわけでもなかったので、父の要望に応えて仕事を辞め、札幌に帰ってくる。親子仲が決定的に悪いわけではないけれども、琴美は父親の言葉や態度にしばしば傷つく。父親のために実家に戻ったのに「独身なのに家でダラダラして」などと言われていて、私だったらキレそうです(笑)。

河﨑 家族に対してはどうしても、相反する感情ってあると思うんです。東京から帰ってきてくれてありがたいという感謝の念と、傍にいたらいたで「この子ときたら」ともどかしく思う気持ちと。その両方を表に出してしまうのは、歳をとった父親としてはありがちかなと。とりわけ、つい兄弟姉妹と比較してしまう、などというのはよくありますよね。

——そう、琴美にはアメリカに住んでいる美紅みくという妹がいるんですよね。幼い頃から、美紅は優秀なのに琴美は駄目だ、といった空気を父親から感じている。そんな琴美と、一時帰国した美紅が介護に関してぶつかる場面もあります。

河﨑 実際に介護をされている方の事例をうかがうなかで、家族間でも介護に対する温度差はあって、それは当事者にとっては非常に大きな問題になるのだろうと感じました。娘から見た父親という視点だけでなく、兄弟をはじめとしたほかの家族への感情など、ひとつひとつ手探りで書きこんでいきました。

別冊文藝春秋 電子版46号 (2022年11月号)文藝春秋・編

発売日:2022年10月20日