河﨑秋子インタビュー「Bプラスで満点、それが介護――等身大の家族の物語に込めた想い」

作家の書き出し

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河﨑秋子インタビュー「Bプラスで満点、それが介護――等身大の家族の物語に込めた想い」

インタビュー・構成: 瀧井 朝世

 

介護に「Aランク」なんてない

——父親の意外な一面を知ったり、推し活に変化があったりと、いろんな意味で起伏のある日常が、淡々と、時にユーモアも交えて描かれて、暗くない。この読み心地はどのように意図されましたか。

河﨑 介護という致し方ない現実を抱えながら、どうやって生きていくのか。あまり悲観的にならず、むしろ読んでいてちょっと気持ちが上向きになるぐらいを目指したいな、という気持ちがありました。

 でも、介護をすると人生が豊かになる、とはやっぱり言えない。本当に大変なので、やらないに越したことはないと思います。もしプラスなことがあるとすれば、「投げ出さずにやることができた」という自己満足を得られることくらい。「やれることはやった」と思えるのは、介護者にとっては結構大きいことなんです。

 タイトルの『介護者D』は、主人公が、妹はずっと成績がAランクなのに自分はDランクだった、介護においても自分はDランクだと思っているところから発想したものですが、でも最後、Dプラスくらいには頑張っている、と思えるようになってほしいなと。

 ついでにいえば、介護にAランクってないと思うんです。どんなにお金をかけて最高の環境を用意して、本人の望みをすべて叶えたとしても、介護する側には絶対に後から「もう少しこうできたのではないか」「違う道があったのではないか」という後悔が生まれてしまう。だからといって自分で自分を責める必要はない。Bプラスが満点、くらいに考えればよいのではないでしょうか。

——実体験をベースにフィクションを書かれるうえで、意識したこと、注意したことはありましたか。

河﨑 実体験のなかからどんなことを抽出するかは慎重に取捨選択しました。現実に介護をしていると、本当に嫌なこと、理不尽なこと、悲しいことをたくさん経験するんです。それを100%投影したわけではないですし、ひとつひとつ程度や形を変えながら物語の中に織り込んでいきました。

 介護については、本当に各家庭によって事情が異なりますから、一般化することはできないですよね。たとえば男の人がお母さんの介護をする話だと、また違う辛さが出てくると思うんですよね。

——あ、確かに息子が母親を介護するとなるとまた違いそう……。

河﨑 その設定でと言われたら、もちろん書くことはできるでしょうが、今回よりももっと想像で書く部分の比率は上がるでしょうね。読んでみたいので、誰か書いてくれないでしょうか。私は今のところは「あー、介護について書くのはもういいや」という気持ちでいっぱいなので(笑)。

どん底状態から摑んだデビュー

——河﨑さんはもともと本が好きで、学生の頃から小説を書いていたけれど、「まだ人生経験が足りない」と思って一旦、執筆をやめたそうですね。そこから羊飼いとなり、30歳目前になって「そろそろ書くか」と再開されたとのことですが、そうしてある程度の年齢になるまで待ってよかったと思いますか。

河﨑 自分にとってはベストなタイミングだったのだろうと思っています。

 30歳手前で応募作を書いて北海道新聞さんに送って、その選考結果が出る直前に父が昏睡状態になったんです。「最終選考には残ったけれど今回は残念でした」という連絡を受けとったのは、父の介護が一番大変な時期でした。

 最終選考に残していただいたこと自体は嬉しかったのですけれど、落選の報にはやっぱりちょっと絶望しまして。私生活がそんな状態で、長年の夢も花咲かなくて、本当に打ちひしがれました。でもその時に、「たぶんこれは、ここから上がっていけということだ」と思ったんですよね。家の仕事と父の介護でてんやわんやの状態の間も、そう思いながら書き続けました。

——そうして2012年に「東陬遺事とうすういじ」で北海道新聞文学賞を受賞し、14年には『颶風ぐふうおう』で三浦綾子みうらあやこ文学賞を受賞して。『颶風の王』は北の地と馬と人間の、数世代にもわたる物語ですよね。そんな生活のなか、あの素晴らしい、重厚な長篇を書かれたのだなあと思って。

河﨑 そうですね、あれを書いた時がちょうどもっとも大変な時期でした。

——河﨑さんというと、北海道の歴史や自然を題材に大きな物語を描かれる方というイメージもあって、どれも詳細な記述が印象的です。

河﨑 学生時代のアルバイトでの経験が大きいのかもしれません。制作会社で官公庁の資料収集とアーカイブ化のお手伝いをしていたので、北海道の市町村の歴史資料に触れる機会が多かったんです。自分が暮らす土地にどんな歴史があり、そこにどれだけの人の苦労が刻まれているのか。「ここでこういうことがあったのか」「ここでこの産業が発展してこういう町になったのか」と、調べているうちにどんどん知識が繫がっていく感覚がありました。それがすごく面白かったし、そこに物語の種があったので、掘り下げていった感じです。

——『土にあがなう』なども北海道各地の産業を扱った短篇集で素晴らしかったですし。ただ、今後は北海道だけでなく、いろいろな場所を舞台にして書いていきたいそうですね。

河﨑 そうですね。これまでは介護がありましたし、羊も飼っていたのでなかなか家を空けられなかったのですが、思い切って実家を出て、専業作家にもなったので、これからは取材にもどんどん出向こうと。さっそく行こうと思っていた矢先にコロナ禍が始まったので、まだ実現できてはいないんですけど。

——初期の頃から的確で簡潔な描写や硬質な文体が魅力でしたが、どこで文章力を磨いたのでしょうか。

河﨑 自分では分からないですね……。いろんなところで中島敦なかじまあつしが好きだと言っていますが、彼の文体を意識的に取り入れたということもないですし。単に私が、文体でぶん殴ることが好きなのかもしれません。

——文体でぶん殴る?

河﨑 私は読み手として「握力の強い」文章が好きなんですよね。特別な言葉を使っているわけではないのに、引きずり込まれることってあるじゃないですか。自分が書く時も、自然とそういうものを目標にしている気がします。

——執筆の際、ぱーっと書いてから推敲するのか、1文1文じっくり生み出していくのか、どういう感じですか。

河﨑 作品によってですね。たとえば『介護者D』や『絞め殺しの樹』はわりとサクサク書き進められた気がします。特に『絞め殺しの樹』は、あらかじめ舞台となる根室の当時の状況などを大摑みに頭に入れてから一気に書き上げ、後から実際のデータと照らし合わせて細かく調整していくスタイルだったので。

 悩みながら進めているのは、今とりかかっている書き下ろしです。書きながら調べものをしているので、いつもよりだいぶ時間がかかっています。私は書き手としてのスタンスに波があるので、今たまたまそういう時期なだけかもしれませんが。

 いずれにせよ、スランプやストレスを無理に解消しようとすると余計うまくいかなくなるので、なるべく気にせず、朝決まった時間に起きて、決まった時間にご飯を食べて、決まった時間に散歩に行って寝る、というのを心掛けています。そうしたフィジカルに健康でいられるようなルールを課していれば、なにかあった時にも「体は大丈夫なはずだ」と思えるので。

——河﨑さんは安定しているイメージがあったのですが、波があるんですね。

河﨑 はい、「今日はもういいや、猫を抱っこして寝よう」みたいな時期もしっかりあります。今はちょうどその波が来ているので、生温かく見守っていただけましたら(笑)。

河﨑さんポートレート撮影:深野未季


かわさき・あきこ 1979年北海道別海町生まれ。2012年「東陬遺事」で第46回北海道新聞文学賞(創作・評論部門)受賞。14年『颶風の王』で三浦綾子文学賞を受賞し、16年同作でJRA賞馬事文化賞を受賞。19年『肉弾』で第21回大藪春彦賞、20年『土に贖う』で第39回新田次郎文学賞を受賞。22年『絞め殺しの樹』で第167回直木賞候補。近刊に『介護者D』『清浄島』がある。


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