際立つ「かつて」と「いま」の差異
本書において、なぜ写真が重要な位置を占めているのか。それは各短編をつなぎあわせる要素の役割を果たしているだけではない。写真とはある時間に起こったできごとを瞬間定着させるメディアである。「黄昏アルバム」の主人公は、「言ってみれば写真は、容赦なく流れていく時間へのささやかな抵抗みたいなもの」と述べている。写真は、「かつて」と「いま」の時間的、空間的な差異を際立たせる。すべての主人公=語り手がかつての体験を語る本書の趣向は、写真独自の機能に即したものであり、その意味で写真の導入は必然といえる。
五作目の「月光シスターズ」は、所収短編中もっともミステリ色が強い作品である。この世ならぬものの存在を感知する能力を身につけた娘と、ミツコという名の幽霊の存在に怯える母親。徐々に精神を冒された母親は、不可解な自殺を遂げる。母の死に疑いを抱いた娘は、姉との対話によって恐るべき真実に直面する。人間の記憶の曖昧さがはらむ究極の恐怖が描かれた好編である。
「スズメ鈴松」は、本書の最後を飾るにふさわしいファンタジー色あふれる人情譚である。東京下町のアパートに居を移した「俺」は、真下の部屋に住む鈴松という男と、彼の息子で小学生のヒロ坊と「奇妙な友情」を育んでいく。親子との付きあいの中で、周囲から乱暴者の烙印を押された鈴松の意外な一面を知ることになる。男手一つでヒロ坊を育てる武骨な鈴松の生き様がすばらしい。スズメにまつわる「ささやかな奇跡」と、鈴松とヒロ坊の意外な関係に、朱川の「世界肯定の意思」が表明されている。
すべての主人公が、数10年前の少年少女時代に起こったできごとを物語る点において、ノスタルジックな状況が現出するが、「昔はよかった」という安易な懐古趣味に堕していない。大人になった彼らには、それぞれに向きあうべき現実が存在する。6つの短編が指し示すのは、過去と現在の間に引き裂かれた主人公たちの生々しい姿だ。ノスタルジーの手法を突きつめた本書によって、朱川湊人は過去と現在が反照しあう地点から人生の真実を表現する、そのような新しい場所にたどり着いたように思われる。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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