たどりついたブレイクスルー
――エンタメ小説に切り替えたきっかけは何だったのでしょう。
芦沢 その東野圭吾さんのインタビューに衝撃を受けたことがすごく大きいです。あと、その頃、ずっと投稿を続けていて、もう「なんとかデビューしたい」という思いがあるから、傾向と対策を考えるようになっていたんですね。選考委員の作風とか、過去の受賞作とか。でも、そういうのを考えて書いても私も楽しくない。書いても結局受賞しないから誰も楽しませていない。「もういいや。自分だけでも楽しいと思えるものを書こう」と思って、傾向と対策を全部やめ、賞のこともいったんおいて、それで書いたのが仕掛けのあるお話でした。「読む人はここで騙されるぞ」ってニヤニヤしながら書くのがとにかく楽しかった。ただ、それってある意味、読者視点に立つということなんですよね。自分のことだけ考えて書こうとして逆に、はじめて読者視点を得たのがブレイクスルーだったというか。そうやって書き上げた仕掛けがあるものを投稿して、初めて最終選考に残りました。
で、「私、仕掛けがあるもののほうがいいのかな」とまたすぐ調子に乗り、次に書いたのがデビュー作の『罪の余白』(12年刊/のち角川文庫)でした。仕掛けがある話を書き始めて3年くらいでデビューしているんですが、でもそれまでに長い間あがいてきた時の筋力があるから、今回の『カインは言わなかった』も仕掛けに頼りすぎずに書けたのかなと思います。
――受賞されたのも、ミステリーの賞ではなく野性時代フロンティア文学賞ですものね。
芦沢 その前に最終選考に残ったのが女による女のためのR―18文学賞だったんです。当時の選考委員が山本文緒さんと角田光代さんと唯川恵さんで、選評が皆さんすごく温かくて。皆さんにもう一回読んでいただきたいなと思ったんですが、次に書いたのが長篇だったので、短篇の賞であるR―18文学賞には出せませんでした。それで、山本さんがフロンティアの選考委員をされていたので、山本さんに読んでもらいたいと思って送りました。
――『罪の余白』は愛娘を亡くした父親が、娘を追い詰めた女子高生たちを逆に追い詰めようとする話。ミステリーとは意識していなかったのですか。
芦沢 サスペンスではあるけれど、はたしてこれはミステリーなのだろうかと思っていました。はじめてミステリーを意識して書いたのは『悪いものが、来ませんように』(13年刊/のち角川文庫)なんです。あれはずっと書きたかった話なので、受賞の連絡をもらい『罪の余白』の改稿についての打ち合わせをしているその席で、「次は絶対にこういう話を書きたいんです」と切り出し、『罪の余白』の改稿と並行して書きはじめました。『罪の余白』が刊行されるまでに書きあげないと、と思ったんです。だってデビュー作を刊行した後って、絶対に心が揺さぶられるじゃないですか。どんな評価を受けるのか動揺して、「受賞第一作の壁」みたいなものが来ると嫌だから、刊行前に第一稿は書きあげておこうと自分で決めていました。
――デビューが決まった直後にそこまで冷静に考えているなんてすごい。
芦沢 でも『罪の余白』も『悪いものが、来ませんように』も単行本では一回も重版がかからなくて、どちらも思い入れが強い作品だっただけに意気消沈しました。
だけど、そのおかげでそれほど気負うこともなく、わりとのびのびと3作目を書くことができました。それが、次の連作短篇集『今だけのあの子』(14年刊/のち創元推理文庫)です。
その次の『いつかの人質』(15年刊/のち角川文庫)が大変でしたね。別に気負ったわけじゃないんですけれど、編集者にすごく鍛えられたんです。言われたなかで一番「あっ」と思ったのが、「心理描写を削ってお話が成立しないのであれば、それは筋が足りないということです」という言葉。それまで、心理描写を褒められることが多かったので、それが自分の武器なのだと思ってきたのですが、そこに頼りすぎてしまっていたんじゃないかと気づいたんです。私にとって大きなブレイクスルーでした。
その後、短篇ミステリーを書いていいと言われて大喜びで書いたのが「許されようとは思いません」という作品です。私、短篇ミステリーが大好きなんです。それで、この作品が日本推理作家協会賞の短編部門にノミネートされたことで、もっと書いていいということになり、今の自分に書ける最高の短篇集にしたいと意気込んで、表題作を含む『許されようとは思いません』を書き上げました。これが吉川英治文学新人賞にノミネートされたり、ミステリーランキングにランクインしたりしたのが、すごく励みになりました。