小説の書き方は出たとこ勝負
――普段、アイデアや気になったことをメモしていますか。
東山 常にノートを持ち歩いて、思いついたことを一言二言書き留めています。その一言二言が種となって、そこから芽が出ることもある。メモ紙は机のまわりに散らかしているんです。わざとではなく、ずぼらだから(笑)。で、時々どうしようもなくて整理しなきゃいけなくなる。そんなときに読み返すと、「あれ、これは使えるんじゃないかな」となることもあります。
――事前に綿密なプロットは作らないタイプですよね。
東山 作らないですね。いきなり書き始めて、出たとこ勝負。人物造形にしても、事前にカチッと決めず、書いているうちにだんだん狭まっていく感じです。何も書かない状態が一番可能性がいっぱいあって、主人公を男にするか女にするかの選択で可能性が半分になって、主人公を9歳にした時に他の年齢の可能性がなくなって、主人公を台湾人とした時に他の国籍の可能性がなくなって……。そうやって狭まっていく。お父さんが紋身街で食堂をやっているとすると、ちょっと粗雑な子かもしれない、などと、書いているうちに固まってきます。
――今回の『ミゲル・ストリート』の影響もそうですし、デビュー当初はエルモア・レナードを意識されていたということで、先行作品からインスパイアされることは多いですか。
東山 いろんなものをインプットしようとしているので、そうなるのかもしれません。本を読むのが遅いし、そんなに量は読めないから、映画や音楽は重要なソースというか。それに印象深い作品って、自分が忘れたと思っても、忘れるくらい自分の一部になっていたりしますね。レナード、チャールズ・ブコウスキー、ガルシア=マルケスはまさにそんな感じです。
逆にレナードから離れたいのに、どうかした時に台詞や場面転換にまだレナードの影響があるな、と思う時はよくあります。物語が分岐点に差し掛かった時に、右に行かずに左に行くというのは、そうした見えざる手に導かれているような気がします。