「高校時代、私はこんな本を読んでいた」――作家・朝倉かすみから高校生へのメッセージ

高校生直木賞

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「高校時代、私はこんな本を読んでいた」――作家・朝倉かすみから高校生へのメッセージ

文: 朝倉 かすみ

#あしたを読む #言葉で元気に #本で元気に

 4月29日、全国36校の高校生たちが一堂に結集するはずだった「第7回高校生直木賞」の全国大会は、新型コロナウイルスの感染拡大のため、延期を余儀なくされた。以来、参加校の生徒たちは自宅にこもって候補作を読み、オンラインで友人と議論をつづけている。雌伏の時間を過ごしている全国の高校生たちへ――。「第7回高校生直木賞」候補作家5人が、自らの高校時代をふりかえって「読書体験」を綴る、連続企画の第1弾!


 
朝倉かすみさん

 高校1年の2学期の中間テストの初日だった。いつもより早い下校時間。ちょうどいいバスがなく、わたしは歩いて帰った。裸眼だった。一夜漬けによる寝不足のため涙が足らず、コンタクトレンズが入らなかったのだ。視力0.01あるかないかの近眼なのだが、眼鏡は外していた。あらゆるものの輪郭がはっきりせず、湿った日陰にいるような、わたしの裸眼の世界に映し出される景色は、不便ないっぽう面白かった。

 薄ぼんやりした街路樹や屋並などを楽しんでいると、白い車が近づいてきた。わたしの横にピタリと駐まり、窓ガラスがスーッと下りる。若くて目の細い男性がいかにも恐縮という面持ちで道案内を頼んだ。「ああ、そこなら」とわたしが説明しだすと、男性は「ちょっと、これ、見てもらえます?」と膝の上に広げた百科事典らしきものを指さした。よく見えなかったので車の窓に首を突っ込むようにして覗くと、男性は「これ、これ」と百科事典らしきものを除けた。股間からぴょんと何かが飛び出たのだが、裸眼で16歳のわたしにはわけが分からず、「え、なんですか?」と頭をもっと車内に入れ、結果的に、よーく見てしまったのだった。

第7回高校生直木賞候補作 朝倉かすみ『平場の月』(光文社)

 走って帰り、お風呂に入り、夕ごはんを食べてもショックと怖さと気味の悪さが抜けなかった。あの映像が間断なく蘇り、そのたび汚物をなすりつけられたようなきもちになる。明日は中間テストの2日目なのに、ちっとも集中できない。わたしの頭の中で繰り返し流れるあの映像。

 

 もうテストなんかどうでもいい、とにかく今はあの映像を追い払いたい、でもテストも気になる。思い惑ったすえ、わたしは現代国語の教科書をひらいた。明日の範囲である短編小説を音読した。何遍も声に出して読んでいるうち、あの映像の出現が間遠になった。やがて小説内の場面が取って代わる。丹塗りの剥げた、大きな円柱に、一匹だけとまっている蟋蟀。右の頬にできた、大きな面皰を気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺める男。鴉のような声で、喘ぎ喘ぎ、「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな」と言う老婆。分けてもわたしの頭の中にくっきりと浮かんだのは、「きっと、そうか」と老婆に念を押す下人の顔つきで、それがわたしの遭遇した露出者と重なり、彼らふたりのおそらくやむにやまれぬ「勇気」の発現の瞬間に思いを馳せ、背中がゾワッとしたのだった、というのが高校時代におけるもっとも強烈な読書体験です。『羅生門』です。


あさくらかすみ 北海道生まれ。2003年「コマドリさんのこと」で北海道新聞文学賞、04年「肝、焼ける」で小説現代新人賞を受賞。翌05年『肝、焼ける』で単行本デビュー。09年に『田村はまだか』で吉川英治文学新人賞を受賞。他に『夏目家順路』『てらさふ』『地図とスイッチ』『恋に焦がれて吉田の上京』『静かにしなさい、でないと』『少しだけ、おともだち』『満潮』『遊佐家の四週間』『乙女の家』など著書多数。18年刊行の『平場の月』は、第161回直木賞(19年上半期)の候補作に選ばれた。


※第7回高校生直木賞の候補作は、下記の5作です。

 朝倉かすみ『平場の月』(光文社)/大島真寿美『渦』(文藝春秋)/小川哲『嘘と正典』(早川書房)/川越宗一『熱源』(文藝春秋)/窪美澄『トリニティ』(新潮社)

 賞の詳細は、高校生直木賞HPをご覧ください。


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