「高校時代、私はこんな本を読んでいた」――作家・川越宗一から高校生へのメッセージ

高校生直木賞

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「高校時代、私はこんな本を読んでいた」――作家・川越宗一から高校生へのメッセージ

文: 川越 宗一

#あしたを読む #言葉で元気に #本で元気に

 4月29日、全国36校の高校生たちが一堂に結集するはずだった「第7回高校生直木賞」の全国大会は、新型コロナウイルスの感染拡大のため、延期を余儀なくされた。以来、参加校の生徒たちは自宅にこもって候補作を読み、オンラインで友人と議論をつづけている。雌伏の時間を過ごしている全国の高校生たちへ――。「第7回高校生直木賞」候補作家5人が、自らの高校時代をふりかえって「読書体験」を綴る、連続企画の第4弾!


川越宗一さん

 ぼくはもともと、あまり本は読まないほうだった。高校時代に読んだ本の記憶といえば『帝都物語』(荒俣宏著)か、読み応えのある解説が付されたロックバンド「ユニコーン」のバンドスコアくらいだ。

 ところがここ数年、小説を書くようになってからはそれなりに読書量が増えた。参考文献にあたるものがほとんどだが、知識欲を満たされていく快感に、ついつい読みふけってしまう。

 また最近で言えば、「よくわかる」「はじめての」と銘打たれた帳簿付けや確定申告の本を熟読した。国民の義務たる納税を適切に行うための読書はとてもスリリングな体験だった。いずれも無二の愉しみがあったが、そもそもはぼくの実用のため、手に取った。

 どうやら読書は役に立つ。読むだけで新しい知識、知らない感情を知ることができる。将来を切り拓くべきとき、隣人の涙をそっと拭ってあげたいとき、本がくれた体験はきっと生きる気がする。読書量によっては親や周囲の視線も好転するかもしれないし、個人的にはあまり賛同しないが読解力や文章力の向上に資すると言われることもある。

 ただいっぽうで、実利や実用の外に読書の妙味があることは、ためにする読書がもっぱらのぼくでも知っている。ただ愉しみだけのために本を手に取ったことはあるし、読後に覚えた感情のいくつかは、いまもぼくの感覚の中で脈打っている。

 ひょっとすると、読み手の情と本が持つ熱の衝突こそ読書かもしれない。本に求めるのではなく、本を求める。そんな澄みきったな情熱あってこそ読書は読書になるのかもしれない。

 情熱といえば、人類史において「そんなつもりなかったけど、情熱的にやっていたら後からすごいことになった」という例は、数多い。

 かつて、金は人工的に錬成できると思われていた。その試みこそうまくいかなかったが、錬金術師たちの熱心な研究の成果は現代科学の礎となった。庶民の求めに絵師の魂で応えた浮世絵は、版元の資本と彫師、摺師の技で街にあふれ、海を渡り、西洋美術に大きな影響を与えた。

第7回高校生直木賞候補作 川越宗一『熱源』(文藝春秋)

 読書にまつわるところでは、『社会契約論』を著したルソーは時計職人の息子で、子どものころは小説や歴史書を読みふけっていたという。そのころ、長じてからの著作が広く読まれて近代の発展を大きく刺激するだろうとは、つゆも思ってもいなかったはずだ。

 目下、ぼくたちの社会は緊急事態宣言の中にある。無数の混乱や喪失が生じていて、また困難をまるごと背負ってくれるような献身がある。息をひそめるような日々は、近々には終わらないかもしれない。

 だが本もまた、ある。であればきっと今もどこかで、情熱が生まれ、育まれている。次の時代への準備がちゃくちゃくと進んでいるはずだ。

 冷え冷えとした静寂に身をかがめながら、ぼくはそんなことを考えている。


かわごえそういち 1978年大阪府生まれ、京都府在住。龍谷大学文学部史学科中退。2018年『天地に燦たり』で第25回松本清張賞を受賞しデビュー。19年刊行の2作目『熱源』が、第9回本屋が選ぶ時代小説大賞、第162回直木賞を受賞した。


※第7回高校生直木賞の候補作は、下記の5作です。

 朝倉かすみ『平場の月』(光文社)/大島真寿美『渦』(文藝春秋)/小川哲『嘘と正典』(早川書房)/川越宗一『熱源』(文藝春秋)/窪美澄『トリニティ』(新潮社)

賞の詳細は、高校生直木賞HPをご覧ください。


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