正論ばかり言うと人は傷つく。だから小説があると思うんです

作家の書き出し

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正論ばかり言うと人は傷つく。だから小説があると思うんです

インタビュー・構成: 瀧井 朝世

桜木紫乃「作家の書き出し」#1

家族を書くのは、なんだか丸裸にされてる気がして

――新作『家族じまい』は北海道を舞台にした家族小説ですね。桜木さんは直木賞受賞作『ホテルローヤル』でもラブホテルを舞台にした人間模様を描いていましたが、本作の家族もかつて家業は理髪店で、その後父親がさまざまな事業に手を出し最後はラブホテルを経営している。それは桜木さんのご実家と一緒ですよね?

桜木 そうなんです。出発点は『ホテルローヤル』を載せた「小説すばる」の編集者から「『ホテルローヤル』のその後を書いてみませんか」って言われたことでした。あれはフィクションだし家族ではなく建物が主役だったのですが、「今度は家族を核にして書いてみませんか」って。正直、嫌なこと言うなって思いました(笑)。自分と向き合わなきゃいけないし、なんだか丸裸にされる気がしたんですよね。でも小説を書き始めてそろそろ20年だし、子どもも大学に行ったり就職したりして独立したし、改めて自分を振り返るという意味でこの題材を書いてみようかなと思いました。

 今回、5人の視点人物を用意しましたけれども、書き終わってみたら、全員自分の内側だったなと思います。書くことで自分の家族の謎が解けた気もします。小説ですから、書かれたことはすべて仮説ですけれど。

――5人の視点人物の最初は、江別で夫と二人で暮らす智代です。子どもたちはもう家を出ましたが、それを寂しいと思う「空の巣症候群」とは無縁。桜木さんも以前、お子さんたちが実家を出た時に「子育てを終えた解放感がある」みたいなことをおっしゃっていましたよね。

桜木 そう。私の母は私が嫁に行ったとたんに高血圧だの糖尿病だのいろんな病気になって全部私のせいにされたんですけれど、私は「空の巣症候群」にはならなかったですね。むしろ、子どものおむつトレーニングが終わって、「今度から一人でおしっこできるよね、よかった!」みたいな喜びがありました(笑)。智代は私より年齢はちょっと下だけど、家族環境やものの考え方はほとんど同じですね。自分を客観的に見なきゃいけないから、すごく書くのが億劫だった(笑)。でもこの第1章である程度自分のことを書いておいたので、その後がすーっと流れて行きました。

――智代は実家とは疎遠。でも妹の乃理から連絡がきて、釧路で父と二人で暮らす母が認知症かもしれない、と告げられる。

桜木 実際、母が私の名前を忘れたことがあったんですよ。母と電話で話していて、父に替わる時に「あれ、あれ」とか言っているから、私の名前を忘れたんだなと思って。その時、悲しくもなんともなかったんですよね。一緒に描いてきた絵にいい具合の余白ができた気がしました。なんで私はこんなに薄情なのかと思いましたが、今回家族を客観的に書くことで、ちょっとだけ納得できました。

――第2章ではまったく違う視点人物になりますね。十勝のそばの農協に勤める陽紅という女性で、離婚歴のある20代。農協の受付にやってくるご婦人に気に入られ「息子の嫁に」と言われるけれど、その息子は55歳。智代たちとは関係のない話かと思ったら、途中で彼らの繋がりが分かります。

桜木 この章で、智代の夫がどういった土地で育ったのかが分かります。地方の農協の窓口でお嫁さんを見つける、というのはフィクションですけれども、こういうことってあるかなと思って。この人の名前は陽紅と書いて「ようこ」と読みますが、母親がつけた本当の読み方は「ピンク」。こんなキラキラネームをつけるような母親がいて、こんな娘がいたらどうなるかなと思って書きました。

――陽紅はやがてその男性との結婚を決意しますが、夫婦生活で意外なことがありますね。

桜木 自分で書いていて言うのもなんですが、あれは私もびっくりしました。「なんでこの人こういう態度なんだろうな」と思っていたら、あの一行、あの一言がやってきた。半径の狭いところを書いていると特にそういうことがありますね。書き手の自由になる登場人物はいないけれど、流れに任せて書いていると「ああ、あなたはそうするのか」となるんですよね。なるようになるという点で現実よりも小説のほうがメロディアスですよね。

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別冊文藝春秋 電子版33号(2020年9月号)文藝春秋・編

発売日:2020年08月20日