(全2回の2回目/前編を読む)
10年がかりで考えられることをやろうと書き始めた
――ところで、桜木さんの作品はほとんどが北海道が舞台で、今回も家族がそれぞれ道内の別々の場所に住んでいますよね。北海道の広さと距離の絶妙さも感じました。
桜木 そうそう、智代の家と実家は、車でも列車でも飛行機でもドアからドアまで5時間はかかるんですよね。そういうふうに、気持ちを離すために物理的に離れるというのはアリなのかもしれないですね。近いと罪悪感ばかり湧きますもんね。
――桜木さんご自身、北海道のなかでいろんな場所に住んできましたよね。北海道の海を全部見たって言ってませんでしたっけ。
桜木 釧路で太平洋を見て、網走でオホーツク海を見て、留萌で日本海見て、今は内陸で、まさか海のないところで暮らすとは思わなかったけれど、旅人気分が続いていてこれもまたいいです。
――小説を書き始めたのは、ご結婚されたあとの30歳くらいの時、網走に住んでいた頃ですよね。図書館に通って、花村萬月さんの小説を読んで自分でも何か書きたいと思ったとか。
桜木 そう、花村さんが芥川賞を獲られた頃ですね。『二進法の犬』を一晩で読んですっかりはまりました。『笑う山崎』は今でもバイブルです。あの本にはすべてが書かれている。うちの娘もファンで、友達に「なにかいい本紹介して」と言われたら私の本じゃなくて花村さんの本を紹介しています(笑)。
――自分でも何かしたいと思っていた時に、書くことができると気づいて、「これだ」という感触だったのですか。
桜木 そうですね。子どもがまだ赤ちゃんだったし、大勢の人がいるところに行って何かするのは難しい性分なので、外に働きに出るという発想はなかった。家でできることで、10年がかりで考えられることをやろうと思いました。10年がかりというのは、当時の花村さんのインタビューに、「10年やれば何かになっているだろう」という一行があったから。それで、10年かけて詩でも小説でも、なにか文章を書いてみようと思いました。
――いきなり小説を書けるものですか。
桜木 同人誌に現代詩を書いていたら、結婚10年のお祝いに夫が詩集を出してくれたんですよね、恥ずかしいけれど(笑)。釧路で何か書いている人は、それを形にした時に必ず送る先があるんですよ。同人誌「北海文学」の鳥居省三先生。原田康子さんの『挽歌』をガリ版で刷って世に出した人なんですけれど、その人に送ったら、「あなたの書いているものは小説だから、小説を書きなさい」って言われて。すごく嬉しかったですね。でも、地方で小説を書く女の人ってまだまだ色眼鏡で見られる時代だったんです。その頃私は男と女の間に起こることに興味があってそれを書いていたんですが、同人誌に載せても評判が悪いのでへこんじゃって。でも不思議と鳥居先生だけは褒めてくれたんです。それで相談したら、「商業雑誌に応募してみなさい」って言われました。「応募すれば分かるから」って。それで書いて、締切が近いものを探して送ったのがオール讀物新人賞でした。30歳ちょいで文章を書き始めて、3、4年したところではじめて新人賞に応募して、それで賞をもらっちゃったので、これはいけるだろうと思ったのが間違いでした。