正論ばかり言うと人は傷つく。だから小説があると思うんです

作家の書き出し

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正論ばかり言うと人は傷つく。だから小説があると思うんです

インタビュー・構成: 瀧井 朝世

桜木紫乃「作家の書き出し」#1

5年間、飲まないと寝られなかった

――第3章は智代の妹、函館に住む乃理の視点。智代と違って「子どもは親孝行するもの」という思いがある人で、母の認知症を知って、夫や父親を説得して二世帯住宅に引っ越し、両親を呼び寄せる。でも、それでうまくいくかというと、そうじゃない。

桜木 書いていて精神的にきつかったのは乃理の章でした。自分が無自覚だったところを背負うという点で。私はおかしいと思ったら親にでも説教してしまうほうなんです。なので、親はあんまり私には頼りたくないようなんだけれども、もし私が次女で、乃理のような性分だったら、こうなるだろうなと思います。

――思い通りにいったはずなのに、乃理はだんだん、飲酒が習慣づいていく。

桜木 一杯飲んで家族に優しくなれるんだったら、それでいいんじゃないかとは思うんです。私もそういう時期があったんです。新人賞をもらってから単行本が出るまでの5年間くらい、なかなか編集者から連絡がこなくて、飲まないと寝られなかったんです。飲んでも寝られない。その時に一生分飲んで身体を壊して、10年くらいお酒をやめていました。今は精神的に元気だし、お酒もほどよく飲んで、美味しく感じるところでちゃんとやめられます(笑)。

――そうだったんですか。乃理さんは傍から見たら孝行娘だけど、彼女の中で何かが崩れていく様子がものすごくリアルでした。

桜木 彼女のように多方面で「いい人」でいたい人は、自分の欲望に無自覚なところがある。「いいお母さん」「いい娘」「いい妻」でいようとすると、「いい私」がどこにいるのかに無自覚になっていくような気がするんです。それをずっと抑え込んでいると、おそらく爆発するだろうなって。一缶88円の酎ハイを一日1本飲んで気を紛らわせる彼女を誰が責められるのかなって思う。

――乃理さんの夫は理解があるように見えて、一般論しか言わない人ですね。

桜木 一般論という言葉を枕にして、いいことばかり言うどこかの星の王子様みたいな人って、こちらの神経を逆なでする時があるんですよね。そういう人にとって一般論って自分を守る道具なだけだから。うちの場合は夫が「一般的には」と言い始めたら私が「一般的には、ではなくてうちの話をしよう」と言って夫婦喧嘩が勃発します(笑)。ただ、一般論じゃないところで私たちを見つめ直しましょう、といきなり真正面から書くと別の話になっちゃう。小説は人間の弱いところを書かなきゃいけない。そういう点では、これは自分の弱さと向き合う一本でした。

 人は正論ばかり言うと傷つく。だから小説があるんですよね。非常に反社会的な仕事をしているな、っていう自覚はあります。

――第4章では家族以外の視点が入ります。サックス奏者の紀和さんという女性で、意外なところで智代たちの両親、猛夫とサトミに出会う。家族には見せない猛夫の心の内が見えてきますね。

桜木 私、実はこの2年ほどサックスを習っていて。『緋の河』を連載している時に、書き終えるまでに「枯葉」を吹けるようになろうと習い始めたんです。アルトサックスの師匠と話していて「音楽家って暮らせるの?」と訊いたら、「そういう人は一握りです」って。楽器店で教室を持って、楽器を売ったりアドバイスしたりして、それでなんとか暮らせるくらいです、って。師匠は今年30になる若い女性なんだけど、腕の立つプレイヤーなんですよ。なのに食べていくのは大変なんですって。そんな話から、手に職を持っていて家族に問題を抱えている人という、『家族じまい』にぴったりな紀和さんという設定が浮かんだんです。猛夫は私の父がモデルといえばモデルですが、ああいう人はたぶん身内には本当のことを言わない。自分の過去を正直に話すのは他人じゃないと無理だと思うんです。それも全部正直な話ではなくて、ラッピングしているだろうけれど。ただ、若くて二度と会わないような、お互いに責任のない関係なら、猛夫さんもなんでも言える。紀和さんはポストみたいな人ですね。なんでも投函できる人。

――この章だけ読むと、猛夫さんがちょっと愛おしくなります。

桜木 やっぱり他人の目って大事ですよね。身内からの目だけだと、公平な視点がないから、人間を書くのにちょっとものたりないんですよ。人間を書く時に必要なのは視点で、その視点が成功すればちゃんと炙り出したい人の感情が見えてくると思うんです。

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別冊文藝春秋 電子版33号(2020年9月号)文藝春秋・編

発売日:2020年08月20日