葉真中顕インタビュー「日本の戦勝を信じたブラジルの日系移民たち。彼らの姿は、明日の私たちだと思った」

作家の書き出し

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葉真中顕インタビュー「日本の戦勝を信じたブラジルの日系移民たち。彼らの姿は、明日の私たちだと思った」

インタビュー・構成: 瀧井 朝世

 そもそも、日本移民には戦前の大日本帝国のイデオロギーがインストールされていますから、彼らにとって日本が戦争に勝つことは、「地球は丸い」と同じくらい自明のことだったんです。日本に住んでいれば空襲があったり、どこそこの息子さんが戦地から帰ってこないなんて話が山ほどあるから、戦況悪化を感じざるを得ないときがあったでしょう。そういうことがブラジルではほとんど起きず、兵士として戦地に赴いた人も周囲にいないし、変わらない日常が続いているのですから、「負けました」と言われても俄には信じられないというのは、まあ分かります。それでも、終戦直後はブラジルにいる9割近い日本人が日本の勝利を信じ、勝ち負け抗争が何年も続いたことには驚きますよね。

 でも、調べているうちに「あ、俺、当時のブラジルにいたら、勝ち組になっていたな」と怖くなった瞬間があって。決して他人事にはしてはならないと、改めて身が引き締まりました。

――葉真中さんは執筆の際にいつも、自分の頭の中にまったく違う意見を持つ葉真中A、葉真中Bといった人間を複数作って議論させる「エージェント方式」を採用されているそうですね。今回もそうした脳内議論が繰り広げられたわけですか。

葉真中 そうですね、頭の中に「勝ち組・葉真中」と「負け組・葉真中」を作って、彼らを闘わせて出てきたものを実際のキャラクターに落とし込んでいくという作業になりました。

――当時のあの状況下での両方の心理や切実さが伝わってきました。そして、徐々に過激化して、最終的には今でいうテロを起こした勝ち組もいたわけです。たとえば、葉真中さんがお会いされた日高さんは、敗戦をいつ、どのように認識されたのでしょうか。

葉真中 日高さんは随分長くかかっているんですよね。襲撃事件を起こした時は戦勝を確信していて、そのあと逮捕されて収監された時もまだ、日本が勝ったと思っていたそうです。それからおよそ8年ほどで出所したんですが、そのくらい時間が経っているともう世間の雰囲気が結構変わっていますよね。まず、日本とブラジルが国交正常化していて人も情報もバンバン行き来している。そうなるともう、日本が勝ったと信じ続けるのも難しい状況だったと。ただ、ご本人にお聞きすると、自分が何年何月に負けを認めたのかは、はっきりとは分からないとおっしゃっていました。長い時間をかけて、だんだん受け入れていったようです。

 作中にも書きましたが、「認識運動」といって、負け組の人たちがブラジルの警察と結託して、勝ち組の人たちを逮捕して「日本は負けた」と言えと強制したりしていたんですよね。日高さんはその手法に憤り、負け組の指導者には責任を取ってもらわなければならないと行動に及んだ、とおっしゃっていました。確かに、負け組側の苛烈さが、あの悲惨な事件に繫がったんじゃないかという見方もあるんです。日高さんの「もっと穏やかに知らせてくれたらよかった」という言葉が、非常に印象に残っています。

 もちろん、相手のやり方が悪かったから殺人が許されるのかというと、それはまた別の議論になる。でも、日高さんが現にそういう思いを抱えたのには、一理あると思うんです。調べていくにつれ、必ずしも勝ち組が加害者、負け組が被害者とは一方的に括り切れない部分が見えてきた。それは小説に落とし込みたかったところです。

――作中の人物にはモデルがいるんですか。

葉真中 テロの被害者として名前が出てくるのは、実際の犠牲者の実名です。また、後半に重要な人物として出てくる大曽根周明は、移民会社の支店長で、認識運動の中心人物だった宮腰千葉太さんという方がモデルです。宮腰さんは、元外交官で戦前から日本移民の指導者と言える立場だった人物です。主要人物でモデルがいるのはこの大曽根だけですね。

――作中では何度か、正体が明かされない人物が語り手の、1991年のパートが挿入されますね。

葉真中 この小説ではじめて「勝ち負け抗争」に触れる読者も多いだろうから、客観的な情報をある程度入れたほうがいいだろうと考えました。このため、勇とトキオの視点とは別に、現代の人間の視点を加えました。また、ミステリーとまで言えるかは分からないですけれど、仕掛けも用意したので、それを活かすためにも、時制を分けています。

――読み終えてしみじみと、自分が正しいと思っていることでも、間違っているかもしれないと検証していかないと、と思いました。

葉真中 執筆しながら、私も同じことを痛感しました。書き始めた時は、あらゆる情報にアクセスが可能な現代のネット社会では、ああいう極端な事件はもう起きないだろうと、どこか安心していたんです。でも、トランプ支持者が議事堂を占拠した事件を目の当たりにした時、「あ、現代でも起きるんだな」と突きつけられて。その後も、書いているうちにどんどん現実が『灼熱』の世界に近づいている気がしていました。

――勝ち負けとはまた別に、1940年代当時からはいろんな価値観がアップデートされてきたと思います。本作を執筆の際、当時は当たり前だった価値観をそのまま書くかどうか、難しいところもあったのではないですか。

葉真中 そうなんですよ。脚注を入れる方法もあるけれど、そもそも今の時代にこういう発言を活字にするのは難しいと感じることが多々ありました。当時の日記や手記には、今だと看過しがたい差別発言が普通に出てくる。それをそのまま書くべきか、現代の読者が読みやすいように変えるべきかについては、作家によって考え方が違うと思います。

別冊文藝春秋 電子版40号 (2021年11月号)文藝春秋・編

発売日:2021年10月20日