幼き日の記憶と、新興宗教への潜入取材
――新作『邪教の子』、大変面白く拝読しました。物語は、慧斗という女性の手記から始まります。少女時代、彼女が暮らすニュータウンに越してきた同い年の茜は、親が新興宗教に入信していて娘を学校にも通わせない。茜を助け出そうとする慧斗の懸命な行動が描かれます。
澤村 まずは、囚われの姫を奪還する、オーソドックスな構造の物語を書きたいというのがありました。頭にあったのは、「ガラスの山」というポーランドの民話です。幽閉された姫を、貧しい青年が知恵と勇気で助け出す。そんな超基本的な話を新興宗教と絡めようと思ってできたのが前半です。
――ああ、なるほど。前半は慧斗がなぜこうした手記を書いているのかが気になって読み進め、後半で「えっ!」となりました。舞台となるニュータウンというものにはそもそも興味があったのですか。
澤村 僕も小学校3年生の時から大学を卒業して実家を出るまでの間、関西の某ニュータウンに住んでいたんです。できたばかりの町で、住人同士お互い顔も知らない関係でした。山の中腹に位置していて、麓にある昔からの町とも隔たりがあって。自治体がうるさくてコンビニもできず、人の流れもあまりなく、すごく閉じた社会でしたね。結局そこは開発に失敗して、地域社会の連帯ができる前に過疎化しちゃったんです。そういう残念なニュータウンのことを1回書いてみたいとは思っていました。
――新興宗教にももともと関心があったのでしょうか。
澤村 それが、なぜ新興宗教の話を書こうと思ったのか、全然記憶になくて(笑)。担当編集者が「さっそく取材に行きますか!」と言うので行ったんです。僕から何の提案もないのに取材の段取りをするわけがないので、たぶんどこかで「新興宗教とか面白そうですよね」くらいは言ったんだと思います。
――いま、担当編集者が激しくうなずいています。澤村さんからのアイデアってことですね(笑)。
澤村 それで、取材してみたら面白かったんです。スピリチュアル団体のミーティングに参加したり、宗教団体の巨大施設を一通り見て回らせてもらったりして。そういう“潜入取材”を何度も重ねました。
スピリチュアル団体では顔見知りの人たちが仲良く魂の救済の話をしている感じで、穏やかなものでした。でも、ここが僕の性格の悪いところなんですが、代表の人が前世のカルマみたいな話をするので、つい身内の不幸な話をして「これも前世のカルマのせいですか」って嫌味で質問したんです。そしたら、「たぶんそうじゃないから自分を責めないでね、とその方にお伝えください」と返されて。悪い人ではないんだなと思いました。霊感商法のように、「カルマだからこの壺を買いなさい」って、脅しにかかることはなかった。
――澤村さんご自身は、これまで宗教を身近に感じることはあったのですか。
澤村 母方の祖母が天理教に入っていました。奈良の天理市に本部があって、関西ではわりとカジュアルに日常に溶け込んでいるんですよ。小さい頃、そこのお祭りに連れて行ってもらったことがあります。町をあげてエレクトリカルパレードみたいなことをしているんです。僕もパレードを眺めたり、広い集会所でお祈りの言葉を唱えたりしたんですけど、特に変わったことをさせられているという意識はなかった。実際、上京してから知り合った関西出身の後輩も「僕も小さい頃に行きました」と言っていたので、意外とよくある経験なんじゃないかなと思います。
あと、母方の祖父が亡くなった時に、祖母の意向で天理教式の葬式にしたんです。でも民間のセレモニーホールの葬儀会社の人は天理教の葬儀の流儀を知らないし、うちの祖母も、本部から来た若い人もあまり段取りを分かっていなくて。全員が首をかしげながら葬儀が行われていて、それはなんだか面白かったですね。宗教や儀式ってなんなのかなと思った体験でした。
――『邪教の子』の中で描かれる新興宗教は架空のものですが、成り立ちや教義については、実在のものを参考にしたのですか。
澤村 いろいろ調べましたし、カルト宗教に潜入した人のルポをヒントにしたりしました。作中、宗教に入信した人を強制的に脱会させる“脱会屋”が出てきますが、そうした人の体験記も参考になりましたね。
――ああ、慧斗とその仲間は、茜を助けるために脱会屋に頼ろうとします。ただ、無理やり脱会させられた人のその後の人生ってどうなんだろう、と考えさせられる描写がありますね。
澤村 僕が読んだ本に出てきた脱会屋さんも、脱会させた後に思うような社会生活を送れなかった人たちをいっぱい見て、どんどん「自分のやっていることは正しいのか」って葛藤し始めるんですよ。正しいと思って脱会させても、誰も幸せになっていない。隔離して拠り所を奪ったところで、いわゆる一般社会にすんなり戻れるものでもないという現実があるんです。
――昔は、知り合いの知り合いの知り合いが新興宗教を信じていて……くらいの噂は耳にすることがあったと思います。それが、1995年の地下鉄サリン事件で変わりましたね。
澤村 あの事件が起こる前って、大阪でもミナミの若者が遊ぶスポットの近くにオウム真理教の支部があって、遊びに行ったついでに覗いてみるか、なんていうバラエティーノリで消費されていたところもあったんです。事件後は、大きく雰囲気が変わりました。作中でも、当時の時代の空気を少し反映させています。
――ただ、人には拠り所を求める気持ちがある。『邪教の子』でも、茜の家族の宗教とは別に、町内会の会長さんが土着の神様を祀って昔の祭りを再現しようとしますね。
澤村 ニュータウンのお祭りってだいたいしょぼいんです。とりあえず自治体が何かするんだけど、結局、中学生くらいの子たちがちょっと着飾るためのイベントになっている。でも、じゃあ伝統の神様を復活させるのが正しい祭りなのかという疑問もありますよね。何が伝統で何が伝統じゃないのかみたいなことを考えました。
――会長さんが復活させようとする土着の神様の偶像も、茜の家族が信仰しているコスモフィールドの偶像も、見た目が異様です。ああいうの考えるのお得意ですよね(笑)。
澤村 感覚に従ってやって、理屈は後付けです。読んでくれる人が面白がってくれたらいいなと思います。一応ルーツとしては、土着の神様のほうは大枠では「なまはげ」と同じグループに入る来訪神ですね。明言はしていないけれど、モチーフとしてカエルが入っています。山の奥の地面から出てくるカエルの神様ですね。そうやってでっちあげるのは楽しい作業ではありました。
『サイコ』『鳥』……映画から学んだ物語の構造
――それらがどう話に絡んでくるのかと思ったら……ネタバレは避けますが、意外な展開で驚きました。さきほどの民話以外に、先行作品として意識したものはありますか。
澤村 今回はデビュー当時からやりたかった、前半と後半で明確にジャンルが変化する話を書きたいというのがあって。真っ先に浮かんだのは『サイコ』や『鳥』、『フロム・ダスク・ティル・ドーン』などの映画です。『サイコ』って、どちらかと言うと最初はクライムサスペンスなんですよね。女の人が会社のお金を持ち逃げして、どうなるのかなと思ったら「ええ?」みたいな展開になる。まあ、今はもうみんなネタを知っているから誰も驚かないけれど、作った当時の意図としては、途中からどこに連れていかれるのかわからなくなる、物語の構造を楽しんでもらう作品ですよね。『フロム~』も、オフビートなクライムサスペンスかなと思ったら吸血鬼もののアクション映画になるし、『鳥』は前半はスクリューボール・コメディで、鳥に襲われるのは後半ですよね。そういう、前後でぱきっとテイストが分かれる話がやりたかったんです。