——だから結珠は、周囲の目がない時に限って果遠に話しかけるわけですね。二人がよく顔をあわせる学校の図書室に飾られているギュスターヴ・ル・グレイの写真が印象的でした。空と海を別々に撮って、ふたつのネガを一枚の印画紙に焼き付けた作品。ネットで実際の写真を観ましたが、明暗がはっきり出ていて印象的でした。
一穂 以前、写真評論家の竹内万里子さんの『沈黙とイメージ——写真をめぐるエッセイ』という本を読んで知った作品でした。竹内さんのエッセイ自体もとても良いものですが、紹介されている作品の中で特に、ル・グレイの写真が印象に残ったんです。それで、いつかどこかで出したいなと思っていました。自分がいいなと思った作品を書いて残しておくことができるのは、小説を書いていてよかったなと思うことのひとつですね。
——その空と海と光のイメージが、第3章の舞台となる紀伊半島の本州最南端にある海辺の街の、空と海と光のイメージに繫がっていきます。この街には、馴染みがあったのですか。
一穂 ずいぶん前に訪ねたことがあって、今回、後半の舞台をそこにしようと思ってからまた実際に行ってみました。第3章を書く前に一度、それから終盤を書く際に、結珠たちと同じ道を通ってみたいと思って、もう一度。
そもそも、大阪に住んでいると、和歌山ってもっとも身近な「秘境」なんです。白浜までなら2時間半で行けるんですが、新宮あたりまで行こうと思うと特急でも5時間近くかかる。和歌山の南のほう、紀伊山地はどこから行くにしてもやっぱりちょっと遠いんです。東京の方だと、北海道や沖縄のほうが飛行機で行ける分近いでしょう。二人にとってはそういう場所であることが、大事だったのかなと思います。
——そんな遠い場所で二人が再会するなんて偶然がすぎる……と思ったら、納得できる理由もありますね。大人になった二人がその土地で再会した時、それぞれ傍らには男性のパートナーがいる。この男性二人がまた異なるタイプで……。
一穂 結珠の相手に関しては、彼の愛情はきっと、結珠を慕う果遠という存在に出会ったことでますます確かなものになったのだろうと思っています。果たして、果遠の存在を抜きにして、あんなにも結珠を好きになっただろうかと。分かりやすく言うと、単推しから箱推しになったというか、二人の関係性自体にも惹かれていたのかなと思います。ニコイチで推したい気持ちと、自分の独占欲や愛情が常に拮抗している感じとでもいいましょうか。やっぱり推しが一番輝いているのは、自分ではなくこの子といる時だなと思うと、悔しさはあるけれど、というのもあって……。
——分かりやすい説明(笑)。
一穂 果遠の相手は、一言でいうと、いい人ですよね。真っ直ぐで、地元を愛していて、だからこそ、果遠を思う気持ちと、果遠を疎んじる自分の実家との間で心を痛めている。
彼らについては、DVをするとか分かりやすい欠点をもった男性にはすまいと決めていて、それだと、男対女の物語に逸れてしまうと思ったんです。「だったら男を捨てればいいじゃん」という、簡単な話にもなってしまいますし。
結珠と果遠、二人を結びつけているものは
——複雑な人間模様の中で、果遠と結珠の間で唯一無二の関係性が育っていきますよね。それにあえて言葉を与えるとするなら、友情なのか、恋愛なのか、連帯なのか……。著者の中ではどういうイメージでしたか。
一穂 自分でも書きながら、そこを作者が無理にコントロールするのはやめようと思っていました。しいていえば、二人が手にしていたのは、愛情の原液みたいなものなのかもしれません。小さい頃って仲良しの子とは毎日会っても足りなくて、たまに晩御飯を一緒に食べたりお泊りしたりできると夢のようで。同じ時間を過ごすことがすごく大事だという、そうした愛情の原液みたいなものがこの二人にもあったと思うんです。私は小さい頃、自分の母親を見ていて、友達とたまにしか会わないのが不思議だったんですよ。毎日会いたくならないのかな、たまにしか会わないなんてそんなの友達じゃないだろう、って。愛情の原液を原液のまま抱えて大人になったら、この二人のようなことも起こるんじゃないかなと想像しています。果遠は終盤、「明日も明後日も会いたい」と言いますが、二人にとっての望みといえば、結局もう、それしかないのかなと。
でもたぶん、一緒に生活するとなったら毎日喧嘩している気がします(笑)。結珠が口うるさく「なんで使ったものを元に戻さないの」とか言って、果遠が「いいじゃんそれくらい」みたいに返して、という。
——小さい頃に愛情の原液を共有したにしても、なぜ二人にとって互いがここまで大切な存在になったのだと思いますか。
一穂 心の柔らかいうちに出会って、ある程度自分をさらけ出していた相手に対しては、もう隠してもしょうがない、格好つけてもしょうがない、みたいな気持ちが生まれるのかなと。ある程度成長して、自分を守るということを憶えてから出会った人には、なかなかそこまでオープンになれなかったりする。歳の近い従姉妹が、ちょっとそんな感じかもしれないですね。私にはいないんですけれど、姉妹もそうかもしれません。
二人の間には、お互いが傷ついて生きてきたことを、お互いだけが知っているという、労わり合いのようなものがあると思います。果遠は、結珠が一見すごくしっかりして落ち着いているけれど、実はすごく傷つきやすいと知っているし、結珠は、果遠が一見図太いようでいて、実は非常に苦労人で、自分が当たり前に与えられてきたものをひとつも持っていなくて、でもそういう環境に腐らず生きてきたと知っている。それに対する尊敬みたいなものもきっとあるでしょうね。
——この二人がどうなるのか、物語のラストについては最初からイメージはありましたか。
一穂 いや、なかったですね。どうなるのかなと思いながら書いていました。たとえば、歳をとっておばあちゃんになってから一緒に暮らしましょうみたいな人生も、それはそれですごく素敵だなとは思ったんですけれども……。
——全体を通して、「光のとこにいてね」という言葉や思いがリフレインしますね。
一穂 連載前の、まだお話を考えている頃に緊急事態宣言が出て、ステイホームしながらちょくちょく散歩して桜を見に行っていたんです。地面に桜の花びらが積もって、そこに木漏れ日があたっている様子が綺麗で、ぼーっと眺めたりして。こんな時でも桜は綺麗だな、なんて思いながら歩いていたのと、別のある時、習い事に行くらしき女の子を見かけたんですよ。小学校低学年くらいで、バレエスクールに行くのか髪の毛をきっちりとお団子にして。ちょっと離れたところにお母さんが立っていて、女の子が何度も振り返っては「そこにいてよ」「見ててよ」って言うんです。おそらく、一人で通う練習をちょっとずつしているところだったんでしょうね。その光景がすごく微笑ましいというか、愛おしかったんです。そこからもろもろのことを自分のなかで発酵させた結果のタイトルです。
——純粋に「そこにいてね」という意味にもとれるし、「自分が見てすぐ分かるように明るいところにいてね」という意味にもとれるし、「大切な人には明るくて安全な場所にいてほしい」という意味にもとれるし……。読み終えた後にしみじみいいタイトルだと思いました。
一穂さんは事前にプロットを固めてその通りに書くタイプではないですよね。この作品では、どんな感じでしたか。
一穂 連載なのでその都度、ある程度引きがあるよう意識していました。今回はここまで書いたから、後のことは「来月の自分、頼んだぞ」というのを繰り返して。だから、次の締め切りが近づいてくると、過去の自分に「お前……」と憤りを覚えたり(笑)。前半で意識せずにばらまいたものの数々を、後半で拾っていくことも。
私の場合、いつも走りながら次の道を探している感じなんです。頭の中でプロットを考えているだけの時は、なかなか次が出てこない。無理矢理プロットを作っても、書き始めたら必ずどこかで行き詰まるので、細かくは決められない。とりあえず書いてみないことには先が見えないタイプなんです。自分でも「この先一体なにが起きるんだろう……」みたいな気持ちで、心細いんですけれど。
——ではきっと、最初に漠然と考えていたプロットから大幅に変わった部分などもありますよね。
一穂 そうですね。今回ではたとえば、最初、結珠はそのまま医者の妻になって、上流階級の生活に飛び込む予定だったんです。でも第2章で彼女が突然、「小学校の先生になりたい」って言い出したんですよね。こちらとしては、「あ、そうなのね」って感じでした。結珠が親に与えられたものとはまた違う夢を抱くという展開は、団地で果遠と出会ったことにも意味が出てくるので、「じゃあ頑張れ」と思って書き進めました。
他にも、書いているうちに「この人そんなこと言うのか」と意外に思うことはよくありました。筆者としてはもちろん、そうやって人が育っていってくれるのは嬉しいし、書いていても楽しいんですよね。
——登場人物を自由にさせつつ、物語をこんなふうにまとめあげるのだからすごいな、と。
一穂 連載中、他の仕事をしている時も、つねに心のどこかにこの連載のことがあって。終わらせる自信がなかったんです。連載が終わった時は自分で「マジか、信じられない」って思いました(笑)。
——一穂さん、どんなに人気作家になっても、相変わらず自信なさそうですね(笑)。
一穂 ないです、ないです。