◆唐を舞台にするから描けること
――千葉さんはこれまで発表した三作品(『震雷の人』『戴天』『火輪の翼』)とも中国史を扱われていますが、中国史に関しては独学なんだそうですね。
千葉 はい。大学で中国史を専攻していたわけではなく、漢文も専門的に勉強していたわけではありません。でも好きが嵩じて、無謀でもなんでも勉強しながら書いてみようと思いきりました。
――中国や中国史、中華物に興味を持ったきっかけは何ですか。
千葉 最初のきっかけは、幼い頃に見た台湾の映画『幽幻道士』に出てくる妖怪・キョンシーだったと思います(笑)。自由帳に、キョンシーの顔に貼ってあるお札を描いたりしていました。その後、小学生の時に、第一回日本ファンタジーノベル大賞受賞作の酒見賢一さんの『後宮小説』を読んで、こんなに面白い世界があるんだ! と衝撃を受けました。たしか、アニメが面白くて、小説にものめり込んだんです。あの読書体験がダイレクトに今に繫がっている気がします。それ以来、中国にまつわる作品をどんどん読むようになりました。漫画だと藤崎竜さんの『封神演義』や渡瀬悠宇さんの『ふしぎ遊戯』という中華ファンタジー、小説だと小野不由美さんの『十二国記』シリーズを読んだりして。
大学生の時にハマったのが、宮城谷昌光先生や北方謙三先生ですね。宮城谷先生の作品は暗記するほど読みました。大学の専攻は日本語・日本文化学類でしたが、第二外国語で中国語を選び、学生の間にほんの数週間ですが湖南大学に留学しました。
――日本史よりも中国史のほうが面白かったですか。
千葉 日本史も好きですよ。特に平安時代、鎌倉時代は大好きです。でも私にとっては中国史の方が異世界感が強くて、だから一層惹かれるのかもしれません。作家としても、ある時代を厳密に描きたいというより、イマジネーションを働かせたいというタイプなので、正確に言えば自分は歴史小説家ではなく時代小説家、それもファンタジー色強めのタイプかなと思っています。
――松本清張賞を受賞した『震雷の人』、二作目の『戴天』、そして三作目となる新刊『火輪の翼』は、主要人物が異なるのでそれぞれ単独で楽しめますが、どれも唐の時代が舞台です。唐のどんなところに惹かれますか。
千葉 まずは文化面ですね。シルクロード交易が盛んだった時代なので、当時の美術品や工芸品は国際色豊かでとても華やかなんです。実は日本との縁も深いんですよね。遣唐使を通して交流も行われていた。今の日本の行政機構の基本も、当時入って来た唐の律令や制度がもとになっていて、そういうところにも親近感を覚えてしまいます。そうそう、私が茨城県庁で働いていたときも、最初に就いた役職名が「主事」で。係長とか主任といった役職名は知っていましたが、「主事」は知らないなと思って調べてみたら、唐の官制にその名称があったんです。ちなみに、茨城県庁では異動の内々示の時に、人事担当の上司から「これでいいか」と一応本人に確認するシステムがありました。確認されても「嫌です」って言えるわけがないのに、どうしてわざわざこんなことをするんだろうと思っていたら、唐にも同じようなシステムがあったんです。日本を舞台にするよりも想像力が膨らみやすい一方で、価値観や社会システムには馴染みもあって……というそんなところも、私にとって好ましいのかもしれません。
――三作どれも、安史の乱の時期の話です。律令制が整い、玄宗の治世で唐は文化的にも栄華を誇りますが、玄宗が楊貴妃にいれあげ、官僚が不正を働いて政治が不安定になっていく。その時に起きるのが安史の乱です。これは辺境の警備にあたる節度使の安禄山と親友の史思明が挙兵した乱ですね。
千葉 その通りです。自分史でいうと、私は小学生の頃がバブル期で、就活の時期がいわゆる氷河期だったんです。日本が絶頂期からあっという間に転落していく様をリアルタイムで体感しているので、玄宗の治世に唐が没落していった時代と、自分が生きてきた〝失われた30年〟に、どうしても重なるものを感じてしまいます。日本では、この30年の間に安史の乱のような内乱は起きていませんが、国民はずっと日本の閉塞状況に戸惑っているし、怒っていると思うんです。なので、今の世の中の雰囲気を、唐の時代に投影して書きたいなと思いました。
――安史の乱は数年間続きましたよね。7年間とも9年間ともいわれますが。
千葉 755年の旧暦11月に始まって、763年の正月に終わるんですよね。数日でも年が替わると1年とする歴史のカウントですと9年ですが、継続実年数でいうと7年2か月くらいだと思います。その間、不安定な状況がずっと続いていたわけです。
◆史朝義は〝毒親サバイバー〟だった?
――第一作の『震雷の人』は唐の辺境に住んでいた人々、第二作の『戴天』は中央近くにいた人々、新刊の『火輪の翼』は安史の乱を終わらせようとする叛乱軍側の人々の話です。中央の側だけでなく、叛乱軍側の話も書こうと思っていたんですね。
千葉 むしろ、早く彼らの姿を描きたいと思ってきました。叛乱を起こした人たちというのは、国から異質な者として扱われてきた、いわゆる棄民です。彼らには「国から捨てられた民」という意識があるし、団結して立ち上がる必然性があった。自分自身、就職氷河期で苦労したというのもそうですし、県庁時代は労働行政、特にリーマン・ショック期に雇用対策に携わっていたので、働きたくても働けずに苦しむ人たちの姿をずっと見てきました。だからこそ、悪政に抗い、自立を目指す人々の姿はいつか書かねばと思っていたんです。
――物語のメインとなるのは、安史の乱を起こした安禄山と史思明ではなく、彼らの息子たち、安慶緒と史朝義です。彼らには父親殺しという共通点もありますね。
千葉 ええ。安禄山と史思明は、腐敗する唐朝に反旗を翻した英雄として知られているわけですが、私が惹かれたのはむしろその息子たち、安家の次男・安慶緒と史家の長男・史朝義でした。彼らは苦労して、安史の乱の後始末をした世代です。特に、安禄山が建国した燕のラストエンペラーとなった史朝義は、最後に全ての責任を背負わされている。史実を見る限り、そもそも彼は父たちが叛乱を起こすことすら知らされていなかったのに、あっという間に巻き込まれて、最後に尻ぬぐいまでさせられている。これは、今の時代に生きる私たちの世代と重なるところがあるなと。これまでの人生を振り返ってみても、どうしても自分たちは割を食った世代だと思わざるをえないんですよね。就職は氷河期で思うようにいかず、子育て中は子供を保育園にすらなかなか入れられず、苦労して出社しても会社ではお荷物扱いされ……自分を含め同世代の女性たちが仕事と育児の両立に苦労してきた日々は、なんだか〝子育て罰〟を与えられているようだとすら感じていました。この先、歳を取っても、老人福祉の予算はどんどん削られていくでしょうし。でもだからといって不満をこぼしている場合ではないんですよね。40代という社会的に責任のある立場になった我々がこれからしなきゃいけないことは、次の世代のためにいい世の中を作ること。これに尽きるはずだと。この混乱した時代を終わらせるにはどうしたらいいのか、自分自身が煩悶する年齢になっていますから、安慶緒や史朝義たちへのシンパシーを強く抱くようになったのかなと思います。
――安慶緒は、歴史上ではバカ息子と言われている印象がありましたが、本作を読むとそうでもないというか。
千葉 そうなんです。歴史上は暗愚で人望がないなどとひどい言われようですよね。でも史書を読んでいくと、本当は愚直な人だったんじゃないかと感じて、好感を持てるなと思いました。私自身が頭のいい、スマートな人にコンプレックスがあるせいで、安慶緒には余計に感情移入してしまったところもあるのかもしれません(笑)。ただ、安慶緒と史朝義の関係性は史書からは読み取れなかったので、そこは創作です。
――史朝義については、前に「毒親サバイバー」だとおっしゃっていましたね。
千葉 はい。史朝義はおそらく毒親サバイバーだと思います。そんな彼と安慶緒の対比も書きたかったことのひとつでした。
安慶緒の父である安禄山は、挙兵した当初は英雄として活躍したものの、病に侵されたことがきっかけで、晩年は手がつけられないほど粗暴になっていきます。安慶緒は、父親のことが好きだったし尊敬もしていたけれど、変わっていく父の姿を見て、もう生かしておくことはできないとやむを得ず殺したんだと思うんです。史朝義もまた父の史思明を手にかけますが、彼の場合は背景が全く違う。安慶緒と違って父親に愛されなかった子で、元々親子関係が歪んでいたと思います。史朝義は第二夫人の子で、父は本妻の子である史朝清を寵愛し、後継にしようと画策していた。我が身の危険を感じ、父殺しを決める。
私は「ケルンの会」という女性作家6人のグループに入っているんですが、メンバーの美輪和音さんが『ウェンディのあやまち』という小説で児童虐待を扱われていて。それがまたすばらしい作品で、虐げられた子供がどうやって希望を見出していくのか、私も自分なりに書きたい! と刺激を受けました。
じゃあどうするか。史朝義は一体どうやって毒親の史思明からサバイブしていくのか。考えているうちに、「主人公と出会って大きな志を遂げる」という筋が浮かびました。大義はすなわち「乱を終わらせること」だなと。では棄民でありながら、実の父親にも虐げられた子供がどうやって大義を成すのか。彼の原動力は「闘志」なのではないかと思い至りました。そこから逆算するように、唐で人気の力者の娘、ファイターである主人公・呉笑星という架空の人物が生まれました。
――そう、『火輪の翼』の第一部の主人公は呉笑星という女性です。彼女は角抵、今でいう相撲の人気力者を父に持ち、自身も力者を目指してきた。彼女は幼い頃から史朝義と親しかったという。
千葉 最初、主人公は男の子のつもりだったんです。でも、書いていくうちに女の子でないと成立しない話が浮かんできて、思い切って女性に変更しました。実はこの作品、4、5回丸々書き直しをしているんです。担当編集者の方には本当にご苦労をおかけしました。
当時の相撲は今の相撲にかなり近くて、残っている当時の絵を見ても上半身を脱いで闘っていたようですが、女性主人公にした段階でいっそのこと競技自体を大きくアレンジしてしまおうと、プロレスみたいに派手な衣装を着せることにしました。だから、当時の中国でこんな派手な服を着て相撲をとるというのは創作です。
――この呉笑星が非常に強くて魅力的なのに、第一部の最後であんなことに……! 前にインタビューしたときに、唐の時代は女の人も勇ましかったとおっしゃっていたので、それであえて女性の力者にしたのかと思っていました。
千葉 もちろんそれもありますが、困難に立ち向かって大義を成すための「闘志」を何に象徴させようかと考えた時に、格闘技である相撲が浮かびました。
以前プロレスを見に行った時に、私はすごく面白く観戦したんですが、友人の女の子は「何が面白いのか分からない」と言っていたんです。この差はなんだろうと思ったことがあって、その答えをここで見つけたいと思い、なぜ史朝義が角抵や、呉笑星という人物に惹かれていったのかを考えていきました。
――呉笑星の父親が率いていた力者集団、朱鳥団のモチーフが、火輪をかたどった朱鳥ですね。鳥のイメージは最初からあったのですか。
千葉 映画『ロッキー』のようなファイターの物語にしたかったので、太陽と鳥のイメージを前面に押し出そうと。中国の文化では、太陽と鳥って結構イメージが重ねられることが多いんですよ。それで今回は、私の創作ですが、朱鳥という太陽をかたどった不死鳥というモチーフを作りました。
◆人々の居場所を見つけたい
――第二部で視点人物が変わりますよね。それで、「あれ? これはどういうことだ?」と思いながら読み進めて、途中で「あああ!」となりました(笑)。
千葉 第一部で、呉笑星は未熟さ故に大きな失敗を犯します。その失敗を糧に、後半で化ける形にしたかったんです。
――作中、ものすごく重要な人物で、史思明の側近の黒蛇という不気味な存在が出てきますよね。その正体に驚きましたが、あれは架空の人物ですよね?
千葉 はい。陰の存在として活動する黒蛇も、史朝義のように父親に虐待されていた過去があります。彼は狭い世界で育ったので、精神が幼い頃のまま止まってしまっている。
史朝義が大義を成すためには、一筋縄ではいかない者をも味方にしていかなければならない。その象徴のような人物として考えました。
――ネタバレなので書けませんが、史実の裏側に黒蛇の存在があったという展開に膝を打ちました。他にも、呉笑星が金属アレルギーであることが終盤に重要な意味を持つところなど、伏線回収的な醍醐味がありました。
千葉 私は、『震雷の人』でデビューする前に「オール讀物新人賞」で最終候補に残ったのですが、その時に、トリックがテーマと結びついていない、という指摘を受けたんです。以来、トリックとテーマを重ねることは自分の中で宿題だと思っていました。まだ能力が足りなくて、うまくできている自信はないんですけれど。
――いやあ、堪能しました。ところで、史朝義の父親である史思明は男尊女卑的な振る舞いをする嫌な奴ですが、後半でちょっと意外な背景が見えてきますね。
千葉 史思明を単なる男尊女卑のいけ好かない男にはしたくなかったんです。彼も戦争の被害者のひとりなんですよね。結局今作は、苦しみの連鎖を描いた物語なんだなと、書き終えた今思います。史思明は戦争によって抱えたトラウマを乗り越えることができず、それが息子への虐待という歪んだ形で表出してしまっている。
――後半に明かされる史思明の若い頃のエピソードは本当なんですか。
千葉 創作です。ただ、実際、史思明はすごくモテたらしいんですよ。史朝義のお母さんは、史思明の最初の奥さんだと思うのですが、史思明が土地の有力者の娘に惚れられてしまい、史思明もそれを受け入れてしまった。なので、もともとの奥さんのほうが第二夫人みたいな扱いになってしまって、史朝義は妾の子のような扱いを受けたということではないかと思います。
――唐朝の皇太子の娘で、安慶緒の妻となる李麗も印象深い存在でしたが、彼女は実在したんですか。
千葉 史料には安慶緒の兄の慶宗の妻だった唐朝の女性の記録が残っていますが、どんな人物だったのかはさっぱり分からないんですよ。安史の乱の初期に処刑されたという記録はあって、そこを自分なりに創作しました。
デビュー作『震雷の人』を書き始めた時、安慶緒は、主人公の采春という女性と結ばれるんじゃないかと思っていたんです。でも書いてみたら、そうはならなくて。安慶緒には別の物語があるんだな、という感触が残っていたんです。今作『火輪の翼』でも最初は采春と安慶緒のサイドストーリーを書いていたのですが、物語の軸がブレるので、改稿の際に削除しました。作中、安慶緒が潼関を陥落させて帰還した時、客人が訪ねてきたという場面がありますが、実はあれは采春のことなんです。
――あ、そうだったのですか! 改めて『震雷の人』や『戴天』と照らし合わせて読むとまた違う面白さがありそう。
千葉 そうですね。『戴天』で敵軍の残虐な武将として出てきた人たちが、『火輪の翼』だと、安慶緒についてきた頼もしい武将みたいな感じになっています(笑)。本当はその武将たちの話も書きたかったんですけれど、一冊で書ける量ではなくて。『戴天』では孫孝哲という敵軍の残虐な武将が出てきますが、実は彼はすごく縫物が得意で、安禄山の服を全部縫っているんですよ。そういう人間の二面性も書いていきたかったんですが、これも泣く泣く諦めました。
――スピンオフ短篇集が読みたくなります。それにしても今回も、史実の裏側にこんなふうな人間の複雑さがあったと見えてくるところが、本当に読ませるなと思って。誰かのための居場所を作ろうとしている人たちの話であるところに胸が熱くなりました。
千葉 人の居場所については、常に考えてしまいますね。毒親サバイバーもそうですが、自分の居場所がない状況って本当に絶望的なことだと思うんです。世界から否定され、そのうち自分でも自分のことを肯定できなくなっていく。それは、この世に生まれ、生きていく中で一番辛いことなんじゃないかなと。
二作目となる『戴天』を刊行した時に、若い読者の方からの反応が速かったんですよ。そのなかに「自分がいる会社も膠着した社会だから、絶対的な権力者に抗おうとする男たちの気持ちがすごくよく分かった」というご感想があって、小説って読者の方の内面と触れ合えるんだなと改めて実感できたんです。小説なら、人知れず抱えているつらさや、居場所がなくて孤独を感じている人の心の奥底とも共鳴できるのかもしれないと。
それで今回ははっきりと、物語を通して、あなた自身が素晴らしい人間なんだ、誰かを打ちのめしたり、ひれ伏させたりしなくても、あなたはいるだけで素晴らしいんだと思ってもらいたい、という気持ちで書きました。
――戦争を終わらせること自体、人々の居場所を作ることでもありますよね。まあ、節度使たちも居場所を求めて反乱を起こしたわけですが。
千葉 戦争って、武力で誰かをひざまずかせようとする、マウンティングの世界ですよね。勝てばやっと自分の居場所が得られるというのが戦争の世界。一方で、力者の世界は戦争とは対極で、闘いはすれど、人を殺してはならないという掟があるし、フェアネスの精神がある。呉笑星たちを通じて、勝ち負け関係なく皆に居場所がある世界をきちんと書きたかったんです。
――これまで刊行された三作品はどれも、嫌な奴だなと思う人間は出てくるけれども、それぞれに事情や信念や正義がある。だからこそ殺し合いが起きてしまうという状況が、『火輪の翼』によってさらに立体的に見えたと思います。この先、世の中がどうなるのかも読みたくなりました。
千葉 『震雷の人』の采春や張永がその後どうなったのかも、書きたいんですよね。時代の変化とともに、周囲の人々の価値観や行動原理も違ってくると思いますし。
それは私自身も実感していることで、子供たちを見ていると、自分の世代とは全く違う価値観を持っていると感じます。最近、知人のお子さんたちに協力してもらって、10代の子たちにアンケートを取っているんですよ。何に悩んでいるかとか、世の中の何がおかしいと思うか、とか。回答を見ると、私の子供の頃の感覚ともう全く違っていて、世の中が急速に変化しているなと感じます。失われた30年といっても、進化しているところもちゃんとあって、そこには明るい展望を感じています。子供たちの作る未来がすごく楽しみです。
◆小説ならすべてを演出できる
――デビューした時、三作続けて安史の乱を書くことまで想定されていたのですか。
千葉 私は『震雷の人』を書くまで、長篇を書いたことがなかったんですよ。長篇って、一冊でたくさんのことを書けるんだろうなと思っていたら、全然一冊におさまりきらないことが分かりました(笑)。書きたいことを全部書こうと思ったら、冊数が必要なんですね。それで結果的に三作書くことになりました。
――そもそも小説を書き始めたきっかけはなんでしょう。もともと大学で演劇をやってらしたんですよね?
千葉 そうです。卒業したら劇団に入って、脚本とか演出といった裏方の仕事をしたかったんです。「青年座」に入りたかったんですよね。でも募集がなかった。そこでふと、小説なら演出も脚本も全部自分で完結できるんじゃないか? と気づいて。働きながら書こうと思って、茨城県庁に入り、同時に小説教室で有名な「山村正夫記念小説講座」に通い始めました。当初は短篇の、しかも現代ものを中心に書いていたのですが、せっかくならと書いてみた中国もののほうが、新人賞の通過率がよかったんですよ。
――それで中国史を題材にした長篇を書いてみよう、と。いきなり長篇は書けましたか。
千葉 ボリュームがあるものを書くこと自体はむしろ向いているというか、まったく苦ではないのですが、逆に気を抜くとすぐ長くなってしまうというのが問題で。『震雷の人』を応募したときも、松本清張賞は規定枚数が原稿用紙600枚以内だったんですけれど、それを超えていて。しかもそれに気づいてなかったんです。締切2週間くらい前に小説教室の友人が「松本清張賞のフォームはこれだよ」と教えてくれて、それで確認したら100枚超えていたんです。もしかしてカウントを間違えていた? と泣きながら2週間で削りました。
――ああ、『震雷の人』は単行本から文庫になった際、冒頭からずいぶん加筆されていましたが、あれは削った部分を足したものでしょうか。あの加筆部分がめちゃくちゃよかったです。
千葉 よかった! 削った部分を戻したんです。私、すごく筆が遅いんですよ。1日10枚くらいしか書けなくて、しかも何回も書き直してしまう。600枚を何回書き直してもへこたれないところは自分の強みかもしれないですが、編集者さんを消耗させてしまうので、一発で書けるように努力したいです。
――書き始める前にプロットは作るのですか。
千葉 かなりしっかり作るほうですね。でも結局その通りにならないんです。仕込んで書いていくタイプなのに、仕込み方が下手なんですね。悩んでいたら、最近「これならもしかして?」というスタイルに出会って。
――どういうものですか。
千葉 今日本でもすごく流行っている『陳情令』という中国のドラマがあるんですね。原作が『魔道祖師』という中国のBL小説で、それもすごく人気で。なんで日本人もあんなにハマるんだろうと思っていた時に、集英社の文芸誌『すばる』に『魔道祖師』を書いている方のインタビューが載っていて、創作術を語っておられたんです。
――ああ、著者の墨香銅臭さんと綿矢りささんが対談されていましたよね。(『すばる』2023年6月号の「中華、今どんな感じ?」特集)
千葉 そこで墨香銅臭さんがおすすめしていたロバート・マッキーの創作術を取り入れてみたら、とても自分に合ったんです。一方で墨香銅臭さんは私と同じく、仕込んで書くタイプの方のようですが、書きながら見えてくるところもあるから、八割は事前に考えて残りの二割はひらめきで追加していくとおっしゃっていて、ああそれでいいんだと思いました。
『震雷の人』を書いた時は、はじめての長篇ですし、世の中の読者はみんな私より頭がいいからがっかりさせないように、間違ったことを書かないように、と意識しすぎてしまったんですよね。いまは正しさよりも、読者の心の中に入っていくためにはどうしたらいいのか、ということを大事にしています。『魔道祖師』は世界観もキャラクターたちの関係性もすごく魅力的で、読者の心をわしづかみにして、ぐいぐい揺さぶってくる。自分も真面目一辺倒ではなく、読者の心を沸き立たせる物語が書けるように努力したいなと思っています。
――今後も、中国ものを書いていくご予定ですか。
千葉 中国以外の作品も少しずつ書きたいです。役所に長く勤めていたこともあって、「その時のことを書きませんか?」とご依頼いただいて。いつかやってみたいなと思っています。
――では、今後のご予定は。今連載されているものなど教えてください。
千葉 『小説新潮』で連作短篇を書いていて、来年、本になると思います。李白と杜甫の話です。杜甫が酔っ払い8人について書いた『飲中八仙歌』という作品があるのですが、8人の中には素性が分からない人もいるんですね。李白を含む8人と杜甫の出会いを書きつつ、最後に安史の乱があって、杜甫が人生で最大の事件を起こすに至るまでの話です。
李白と杜甫は日本でもすごく有名ですが、どういう人生を歩んだのか、日本語で書いてある小説が意外と少なくて。だからこそ、思い切り創作することにしました。杜甫は李白が大好きで詩にも詠んでいる。なのに、李白が杜甫について書いた詩はあまり残っていないんですよね。「杜甫は李白には相手にされなかったんだろう」と書いている学者さんもいる。なんだか杜甫がかわいそうになって……、そうじゃなかったんだ! という自分の夢の小説ですね(笑)。それと、唐の前の隋の時代と、神話の時代までさかのぼったものも書いているところです。宮城谷先生のファンなので春秋戦国時代も挑戦したいと思っていて、今は猛勉強中です。
撮影:深野未季
千葉ともこ(ちば・ともこ)
1979年、茨城県生まれ。筑波大学日本語・日本文化学類卒業。2020年、『震雷の人』で第27回松本清張賞を受賞し、デビュー。22年、二作目の長篇『戴天』で第11回日本歴史時代作家協会賞新人賞を受賞。24年3月、最新刊『火輪の翼』を刊行。これまでの三作はいずれも唐の時代を舞台にした歴史エンターテインメント作品で、ロマン薫る大河小説だと話題に。