- 2012.08.30
- 書評
邪教の魔方陣
文:千街 晶之 (文芸評論家)
『占領都市 TOKYO YEAR ZEROII』 (デイヴィッド・ピース 著 酒井武志 訳)
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
デイヴィッド・ピース。この作家は、いつのまにこんなに禍々(まがまが)しい存在になっていたのか。
デビュー作『1974 ジョーカー』が紹介されてからしばらくは、ピースというとジェイムズ・エルロイのエピゴーネンというイメージで捉えられることもあった。だがいつしか、ピースはこの作家にしか書けない、独特の狂気と鬼気を振りまく小説を発表するようになっていた。たぶん、ハードボイルドやノワールといった観点からだけでは、この作家の本質は見通せないのだろう。
現在日本在住のピースは、2007年から『TOKYO YEAR ZERO』を第1作とする「東京3部作」を発表しはじめた。戦後の東京で実際に起こった犯罪と、その背後で渦巻く謀略を描く連作だ。このたび刊行される第2作『占領都市 TOKYO YEAR ZEROII』は、ピース独自の禍々しい作風が極限に達した異形の小説である。あらかじめ断っておくべきだろうが、おそろしく読者を選ぶ作品だ。もはやこれを犯罪小説と呼んでいいものかどうか。前作を高く評価した読者でさえ、今回は拒絶反応を示す可能性がある。だが、はまる読者はきっとはまる。そんな小説だ。
前作で扱われた犯罪は小平事件だったが、今回は帝銀事件がモチーフとなっている。帝銀事件とは1948年に帝国銀行椎名町支店で起こった大量毒殺事件であり、今なお多くの謎が残されていることで知られる。横溝正史の『悪魔が来りて笛を吹く』の発端となる天銀堂事件は、明らかに帝銀事件がモデルだし、戦後の謀略犯罪に強い関心を抱いていた松本清張は当然の如く『小説帝銀事件』『日本の黒い霧』でこの事件について考察している。物語の本筋ではないものの京極夏彦の『邪魅(じゃみ)の雫(しずく)』でも言及されているし、エラリー・クイーンまでも短篇集『エラリー・クイーンの国際事件簿』の中で帝銀事件を扱っている。
本書は、事件の背景にGHQや731部隊の謀略があるとしている点で、松本清張や森村誠一が得意とする陰謀論的な社会派ミステリの系譜を継承しているかに見えるのだが、しかし清張や森村がもしこの小説を読んだら、あまりのことに腰を抜かすに違いない。何しろ、羅生門のような門の上で巫女が舞い、事件に関わった人間がそれぞれの立場から1章ずつ語っては蝋燭を消してゆくという構成なのだから。これはどう見ても、日本の怪談の伝統的な作法である「百物語」だ。犯罪小説を読もうとしたらいきなり怪談が始まるのだから、誰もが呆然とするだろう(また、語りの舞台が「羅生門」であるなら、関係者の語りが事件の迷宮化につながるスタイルは芥川龍之介のもうひとつの名品「藪の中」である――という解釈も出来ようか)。
前作には一応、三波警部補という主人公がいたのに対し、本書にはもはや主人公さえ存在しない。犠牲者、刑事、生存者、アメリカ人医師、市民捜査本部なる組織を率いる男、ジャーナリスト……1章ごとに現れては退場する語り手と、そのたびに目まぐるしく変化する文体。語り手の中には、帝銀事件の犯人として逮捕され、冤罪の可能性を指摘されつつも死刑囚として獄中で生を終えた平沢貞通までもがいる。彼をはじめ、作中に登場する実在の人物の言動は、史実をかなり忠実に踏まえている。にもかかわらずここにあるのは現実の帝銀事件の再現というより、呪いと怨念が渦巻く伝奇ホラー的な世界なのである。
本書から私が連想したのは、1980年代に大ベストセラーとなった荒俣宏の伝奇小説『帝都物語』である。あの作品では、加藤保憲という魔人が帝都・東京を呪い、その壊滅を図っていた。だが本書では、東京は既に破壊された都市として描かれ、異国の占領下にある。その闇に跳梁する百鬼夜行。本書に主人公が存在しないのは、この都市に立ちこめた瘴気そのものが物語の主役だからではないか。敗れた大日本帝国も勝者として君臨するGHQも、その瘴気を振りまく邪教の司祭であるという点で変わりはない。そして東京は、謀略に翻弄され、犠牲になった者たちの負の感情を「帝銀事件」というひとつの物語に練成するための魔方陣の役割を帯びるのだ。
この占領された都市、この疫病に襲われた都市、この邪宗の都市、この虚構の都市……作中で繰り返される東京の形容は、さながら呪文のような響きを帯びる。六芒星に見立てられた漆黒の帝都に呪詛が満ちてゆく。『ハリウッド・バビロン』のケネス・アンガーが、そして『フロム・ヘル』のアラン・ムーアが魔術の信奉者、実践者であるように、ピースもまた闇の秘術に多大な関心を持つ者なのではないか……本書の禍々しさは、そんな妖しい空想さえ掻き立てるのだ。
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