文春写真館

横山やすしが熱中したボートレースの醍醐味

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

横山やすしが熱中したボートレースの醍醐味

 漫才史上のベスト3として作家・小林信彦氏があげるのは、〈エンタツ・アチャコ〉、〈ダイマル・ラケット〉、そして〈やすし・きよし〉。

 西川きよしとのコンビを「名人芸」と謳われた横山やすしは、昭和十九年(一九四四年)、高知県に生まれる。本名・木村雄二。「漫才をするために生れて来たような少年」と評されたやすしは、中学卒業と同時に道頓堀・角座で初舞台を踏む。何度もコンビ解消を繰り返した末、吉本新喜劇の役者、西川きよしと〈やすし・きよし〉を結成したのは、昭和四十一年のこと。翌年には、第二回上方漫才大賞新人賞を受賞するなど、順風満帆だったが、昭和四十五年、タクシー運転手への暴行事件で二年四ヶ月の謹慎処分を受ける。

 仕事を奪われたやすしが熱中したのは、ボートレースだった。本職のレーサーまで志したが、視力が足りないことで断念。しかし、最盛期にはメンバー二十人以上の「横山レーシング・チーム」を作るまでのめりこんだ。

〈レースの楽しみいうか、魅力は人に勝つことやな。極端な言い方やけど、これ、おもろいで。生命かけて走る、このレースそのものが男の野望を燃えつきさせるいうんかな。だいたいが病み付きになる方やさかい、いったん飛びついて、やりはじめたからには一等にならんことには、おさまりつかへん。男の意地やな〉(「Sports Graphic Number」28=昭和五十六年六月五日号)

 復帰後、八〇年代の漫才ブームには、第一人者の称号をほしいままにするが、度重なる不祥事に、平成元年(一九八九年)四月、所属する吉本興業から解雇処分を受ける。平成四年、何者かに殴打され(未解決)、失語症に。平成八年一月二十一日、アルコール性肝硬変のため死去。享年五十一。

 その死に際し、「雲の上にいるような人だった」とコメントを寄せた北野武(ビートたけし)との歳の差は、わずか三歳というのは意外な事実である。

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