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庄野潤三は「日常」にこだわって時代の核心を表現した

庄野潤三は「日常」にこだわって時代の核心を表現した

文・写真:「文藝春秋」写真資料部


ジャンル : #ノンフィクション

 ハーモニカ(二十九日)

 夜、一日の仕事が終り、あとは、風呂に入って寝るだけというときに、妻は書斎からハーモニカの箱を取って来て居間のこたつに置く。私が二人の好きな昔の唱歌、童謡を吹き、妻が歌う。二曲目はいつも歌なしハーモニカだけの「カプリ」ときまっている。「カプリ」は亡くなった私の友人の小沼丹の好きな曲であった。

――晩年の作品『メジロの来る庭』の一節。日記形式で、日常の断片が淡々と繰り返される。これのどこが小説か? と疑問に思う読者も多いだろう。

 大正十年(一九二一年)、大阪生まれ。昭和十四年(一九三九年)大阪外国語学校英語部に入学。在学中から詩人の伊東静雄に師事し、創作を始めた。昭和十六年に太平洋戦争が始まり、繰り上げ卒業。翌年徴兵され、海軍少尉となるも、戦場に出る前に終戦となった。

 戦後は創作活動を再開し、以後小説一筋に生涯を送る。昭和三十年に「プールサイド小景」で芥川賞受賞。以後数多くの賞を得た。戦争の極限体験を書く年代と、戦後の反抗と前衛の年代の間で、平凡な日常だけを私小説に書く「第三の新人」の一人と言われる。

 村上春樹は『若い読者のための短編小説案内』で、庄野の素直で都会的な美質を「文徳」と表現し、「小津安二郎の映画のワンシーンみたい」な巧さを讃えつつも、初期の「静物」が最高峰で、それ以後は「どこか別の方向に行っちゃうしかない」と述べている。そして、安保闘争の時期に、あえて夫婦や家族だけの物語を世に出したことを「ラディカル」か「コンサヴァティヴ」か、と問うた。

 だが庄野は、昭和四十一年の「文學界」の対談で、「社会的なひろがりということは、言葉の通りはいいんですけど、ぼくは意味がないと思うんです」ときっぱり言っている。上掲の写真はその時のもの。

 自分が興味を持つのは、日常生活の範囲内だけで、それは毎日同じでも飽きることはない。そして自分の「ほんとに思っていること」を書いたものには、人に聞かせるだけものがあるし、それを「よくない」と言われても、何も恐れることはない、という庄野の言葉には、戦争によって失われた平和な生活こそを希求する、詩人の弟子の信念が現れている。

 だが庄野の描く「日常」は、「日常」だからこそ時代の核心を表現した。家族を大事にし、家庭を守ろうとしても、それは戦前の規範を失った家族であり、自然に恵まれた郊外に住んでも、やがてはそこも宅地開発の影響を受ける。平和の根底にひそむ不安定を、読者は感じずにはいられない。

 平成二十一年(二〇〇九年)、八十八歳で逝去。老夫婦の日記のおそるべき繰り返しこそ、高齢化社会を先取りする超前衛だったのかも知れない。

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