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柳家小さんの<br />「噺家は貧乏が出来なきゃダメ」

柳家小さんの
「噺家は貧乏が出来なきゃダメ」

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

 五代目柳家小さんは本名小林盛夫。大正四年(一九一五年)生まれ。十三歳の頃から剣道に親しみ、剣道家になることを夢見たが、中耳炎を患い断念した。昭和八年(一九三三年)、四代目小さんに弟子入りしたものの、昭和十一年に兵役にとられ、直後に起った二・二六事件では反乱部隊の兵卒として、警視庁占拠に動員された。

 戦後、復員して真打に昇進したが、師匠が急死し、八代目桂文楽の預かり弟子となった。昭和二十五年、五代目小さんを襲名。おりからラジオの全盛時代に落語ブームを迎え、滑稽話で人気を博した。昭和四十七年、落語協会会長に就任。経済的に恵まれない二つ目を救済しようと真打制度の改革に尽力し、大量の真打昇進を認めようとしたが、制度に対する見解の相違から、六代目三遊亭円生らが、落語協会を脱退した。このため、落語協会分裂騒動が起るが、昭和五十四年、円生の死をもって一応の収束をみた。

 それでも、噺家の条件としてあげたのは、貧しさに耐えられることという。

<まず貧乏が出来なきゃダメ。昔はよほどの大幹部だって、しょっちゅう質屋がよい。あたしの師匠なんぞは、実に貧乏だった。おかみさんが「おい、寄席に行く前にナンだよ、ソバでも取って食べていきなよ」「そすか」で電話をかける。「えー、柳家ですけど・・・・・・」「あ、柳家さん・・・・・・ダメ・・・・・・ガチャン」。勘定払ってないから持ってきやしねえ>(「週刊文春」昭和五十二年一月二十日号より) 写真はこのときに撮影されたもの。

 平成十四年(二〇〇二年)没。

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