文春写真館

保守合同を推し進めた緒方竹虎

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

保守合同を推し進めた緒方竹虎

 緒方竹虎も、前回登場の梅原龍三郎と同じ明治二十一年(一八八八年)生まれ。福岡県書記官を務めた父は第二次松方内閣によって退官させられ、子供たちには、「一生役人になるな」と伝えたという。修猷館中学から東京高商に進学し、政治結社玄洋社の頭山満の知遇を得る。その後、東京高商を退学し、早稲田大学専門部に学ぶ。

 大学卒業後、中学の先輩中野正剛に誘われ、大阪朝日新聞に入社するが、社内の派閥抗争に巻き込まれ、退社を決意、イギリスに留学する。しかし、懇意にしていた美土路昌一の働きかけで、帰国後、朝日新聞に復帰する。政治部長、支那部長などを経て、常務取締役に就任。二・二六事件で主筆、代表取締役専務となる。

 昭和十六年(一九四一年)、緒方と親しかった尾崎秀実がゾルゲ事件で逮捕され、さらに中野正剛が東條内閣に弾圧され、自殺したため、葬儀委員長を務めた緒方は、立場を悪くした。緒方は、昭和十九年、退社し、小磯内閣の国務大臣兼情報局総裁に就任するが、小磯内閣は八ヶ月で倒れた。昭和二十年、終戦にともない、東久邇宮内閣の内閣書記官長となるが、内閣総辞職後、A級戦犯に指名され、翌年公職追放となる。追放解除後の昭和二十七年、衆議院議員に当選、いきなり吉田内閣の官房長官、副総理に任命される。写真は昭和二十八年五月に撮影。

 昭和二十九年、吉田内閣総辞職、鳩山内閣成立で、保守合同の機運が高まる中、緒方はこれを積極的に推進し、昭和三十年、自由民主党が結成された。しかし、直後に病に倒れ、翌年一月、心臓衰弱で急逝した。

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