長谷川町子は大正九年(一九二〇年)、佐賀県生まれ。父は三菱炭鉱の技師だった。幼少時に福岡市に転居する。昭和九年(一九三四年)、父勇吉が死去したのにともない、母、姉、妹とともに一家で上京する。やんちゃな少女が、新しい環境になじむことができず、引っ込み思案になってしまったという。絵を描くことが好きで、母のすすめで、漫画家の田河水泡に弟子入りする。
昭和十九年、戦争の激化にともない再び福岡に一家で疎開。町子は西日本新聞社に入社する。終戦で西日本新聞社を退社、翌年、「夕刊フクニチ」でサザエさんの連載が始まる。主人公の名前は愛読していた志賀直哉の「赤西蠣太」に出てくる御殿女中「小江(さざえ)」からとり、磯野家の家族の名前などもすべて海にちなむものとした。
しかし、年末に再び上京するため、わずか四ヶ月という短期間で連載終了。世田谷で姉妹社を設立する。昭和二十二年、単行本「サザエさん」第一巻が刊行される。
昭和二十四年、朝日新聞夕刊で連載が始まり、翌年、桜新町に転居する。昭和二十六年、「サザエさん」は朝刊に舞台を移し、圧倒的な人気を得る。写真は昭和二十七年撮影。
昭和三十五年、漫画家廃業を宣言し、約一年間休業したが、朝日新聞の強い意向があり、連載を再開した。昭和三十七年、第八回文藝春秋漫画賞を受賞。昭和四十一年、サンデー毎日で「いじわるばあさん」の連載が始まる。昭和四十二年、胃ガンのため手術を受け、五分の四を摘出するが、本人にはガンとは知らされなかった。「サザエさん」は昭和四十九年二月二十一日まで連載が続いた。
町子の妹・洋子は、「悪童が閉鎖的な家庭の中で、そのまま大人になってしまったようだ」と評している。
〈『サザエさん』という庶民の家庭漫画を描き続けながら、
「家庭漫画って清く、正しく、つつましく、を要求されるでしょう。だけど、それって私の本性じゃないのよね。だから『いじわるばあさん』のほうが気楽に描けるのよ。私の地のままでいいんだもの」
とよく言っていた。『いじわるばあさん』を自認していたということだろうか。その割には反省の色が少しもなかったと思うのだが〉
(「サザエさんの東京物語」長谷川洋子・文春文庫)
昭和五十七年、紫綬褒章受章。平成三年(一九九一年)、日本漫画家協会賞・文部大臣賞受賞。翌年五月、冠動脈硬化症による心不全で亡くなる。
同年七月、国民栄誉賞を受賞した。
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