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第13番

第13番

黒田 夏子 (作家)

登場人物紹介

 はじめての賃しごとが旅で,つづけて十ぺんも塗ることになったのは手ならしにはつごうがよかった.ようすがわかってから気にいったのをそろえればいいと朝荒(あさーら)がつかいのこしをひととうり分けてくれ,月白(つきしろ)の会のつど手つだいにきていて私とも古くから顔なじみの凝糸(こごりーと)がやりかたをおしえてくれた.賃しごとでは踊り手いがいの芸人たちともいっしょのことが多く新しいどうぐや塗りかたのはやりがつぎつぎとつたわってくるが,月白(つきしろ)は日乗(ひのり)の生きているうちからあまりそういうぶたいには出ないようにしていてじしんはうといのだった.

 手じゅんをまねて塗るのはたやすかったが彩るという域をなかなか出られなくて,土台とかけはなれた顔を作るなんにんかをかんしんしてながめた.

 旅をおえてまもなくつぎのしごとを言われたとき,ひかえのへやにちょうど月白(つきしろ)もいて,凝糸(こごりーと)がその日べつのところに出ていていっしょでないと聞くと,それでは私をだれにたのもうかと言った.旅のときとはちがう曲だし大きな劇場だしとあやぶんだのだろうが,いくらか度をこした子どもあつかいのようでもあった.

 霧根(きりね)に話しておこうと,朝荒(あさーら)が舞踊団をひきいたあと会計と舞台監督とを兼ねている輪荒(わーら)が応じたが,月白(つきしろ)は聞こえなかったふうにして,だれか馴れた人とつづきのように言った.霧根(きりね)がいいと,こんどは錆入(さびーり)がこたえたので月白(つきしろ)も押しかえせなくてだまった.霧根(きりね)は日乗(ひのり)のいわゆる直門だからいまはだれの弟子ということもないのだが,錆入(さびーり) のおしえている日時に来ることが多く,錆入(さびーり)のほうでかってにじぶんの配下あつかいをしているところがあった.霧根(きりね)はとてもじょうずだししんせつに手を貸すだろうと,錆入(さびーり)は月白(つきしろ)のふまんを解しかねて言った.一つには人なれないかんじの私を霧根(きりね)より年しただと輪荒(わーら)も錆入(さびーり)もうたがわなかったのかもしれない.月白(つきしろ)とすればどちらも小児のときからずっと見ていてすくなくともがっこうは私のほうが一ねん早いとわかっているし,なにはともあれ月白(つきしろ)の筆頭弟子なのだから,錆入(さびーり)が配下あつかいしている者におしえをこわせたくはないわけだった.じぶんからえらんだありようとはいえ,年もわざも下の者たちにそのしゅのぶたいではものなれてふるまわれる日ごろへの月白(つきしろ)じしんのひそかなうっくつが,私に映ってきたようでもあった.

 霧根(きりね)の舞踊団員としての有能をすでに身ぢかに知っていた私はあたまをさげるのはいっこうかまわないとおもったものの,端役の顔をじんじょうに作ることはもうできたし,いっぽう踊りのなかまたちにどんな顔で向かおうかどんな顔をかくそうかまだきまらないため口をきくのがひどくおっくうだったから,輪荒(わーら)や錆入(さびーり)が話をしたのかどうか,しなかったのならわざわざ離れた席まで助言を求めにいくのはやめたいが,したのならそうしないと礼を失するかとあれこれためらっておちつかなかった.

 だがまよいながら下ぬりをおえたとき,見はからっていてか退照児(のくてりこ)が立ってきた.つとあごをささえられて,私は一つの未完のおもてとしてさらされていた.手ばやい筆づかいがまゆやまぶたやくちびるにうごき,こういう目ばりのいれかたが似あうとおもう,口もともうまくいったとおもうと,自賛をささやいて退照児(のくてりこ)は去った.

 霧根(きりね)のことでのおもいわずらいが急に消えていくらかぼんやりしながら,退照児(のくてりこ)の描いていった顔を鏡にのぞき,それまでじぶんで描いていたのとはちがう驕奢(きょうしゃ)の匂いにとまどった.退照児(のくてりこ)がこのおもてを向けろとかぶせていったことをよろこぶおもいと,そぐわない現状への自嘲とが行きかう顔を,やがて花かざりでふちどって嵌(は)め鎮めた.

感受体のおどり
黒田夏子・著

定価:1,850円+税 発売日:2013年12月14日

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