昭和二十七年(一九五二年)、日銀総裁室に一万田尚登(いちまだひさと)を訪ねた作家の内田百けん※。
一万田は、明治二十六年(一八九三年)生まれ。GHQ占領下の日銀総裁として金融行政を一手に荷った。インフレーションに苦しむ敗戦直後の日本経済の建て直しに辣腕をふるい、「法王」の異名で知られた。
かたや内田百けんは明治二十二年(一八八九年)生まれ。夏目漱石門下で、ユーモアに富んだエッセイや鉄道紀行「阿房列車」シリーズで知られた。別号「百鬼園」は「借金」のもじりといわれ、借金をテーマとした著作も多かった。
〈一万田「内田先生は借金の名人と伺っております」
内田「総裁は貸さない名人と伺っております」――。貫禄あふれる百けん先生に一万田さん、「どちらが総裁か分りませんなあ」〉(樋口 進著『輝ける文士たち』より)
※内田百けん(けんの正字は【門+月】)