今年の夏は4年に一度のオリンピックで盛りあがったわけだが、なんとなく物足りない思いをしたのは私だけではあるまい。というのも、オリンピック競技として野球が外されてしまったからだ。野球ファンであり、わけても熱心なカープファンである著者の東川さんもきっと同じ思いを抱かれたはずだ。そして著者の趣味を反映したと推測される魔法使いのマリィも同様に悔しがったに違いない。いまの日本球界で選抜メンバーを組むなら、マリィのご贔屓であるカープのマエケンはきっと選ばれていたに違いないわけで。彼女ならば竹箒にまたがってひとっ飛び、ロンドンまで応援にいけただろうに。
さて、本書は三つ編み少女の魔法使いマリィが活躍する本格ミステリ中編集だ。「ちょっと待った。魔法使いなんて設定を許したら、謎なんてなんでも解けちゃうじゃない」と疑問を感じた人はいま一度よく考えてほしい。魔法でもって犯罪をやらかすことはできても、魔法を使って犯罪を解決するのはそうたやすいことではない。魔法で人の心理を操作するのは難しいと述べるマリィも、犯罪者に魔法をかけて自白させるところまでで精いっぱいなのだ。したがって、本書では犯人の犯行をどうやって証明するかという点に本格ミステリとしての主眼が置かれている。そして、その趣向を鮮明にするために、収録作4作は予め犯人サイドの視点から犯行現場を描く倒叙物のスタイルがとられているのが特徴的だ。
個々の作品に目を向ける前に、まずは登場人物について触れておこう。
《烏賊川市シリーズ》の探偵鵜飼杜夫と助手戸村流平、『謎解きはディナーのあとで』の令嬢宝生麗子と執事影山のように、東川さんのミステリにはしばしば絶妙なコンビキャラが登場する。本シリーズで魔法使いのマリィとタッグを組んで事件を解決に導くのは、八王子市警察の若き刑事小山田聡介。聡介とマリィの軽快なやりとりは、ユーモアミステリの旗手東川さんのお家芸ともいえる。
小山田聡介はあえて存在感の薄い人物として設計されているが、それにはちゃんと理由がある。今回はもうひとり強烈な個性の登場人物がいるからだ。「椿姫」と呼ばれる聡介の上司、椿木綾乃警部39歳その人である。タイトスカートから惜しげもなく美脚をさらして聡介の視線を釘づけにする椿姫は、複雑な推理や思考は大嫌い、始終いらいらしては部下に罵声を浴びせている。しかも、事件の関係者であろうが容疑者であろうが、相手が金持ちの独身男と見るや結婚相手の候補者リストに入れてしまうというから恐れ入る。ほとんど捜査の役には立たない美人警部と、そんな上司の曲線美を描く脚で力いっぱい蹴られたいという願望を持つM気質の聡介とのミスマッチなコンビネーションは、スラップスティックな笑いを生む。
では、収録作を個別に見ていこう。
「魔法使いとさかさまの部屋」では、犯人がなんのためにどうやって犯行現場にあった大型テレビなどの家電製品や家具をわざわざさかさまにしたのか、という魅力的な謎が提示されている。クイーンの『チャイナ橙の謎』を想起させる《あべこべ殺人》に新機軸を打ち出したトリッキーな論理を楽しめる。
「魔法使いと失くしたボタン」では、犯人の思わぬミスにより犯罪が露見するが、そこへ導いていく伏線のしこみ方が巧みだ。1台分の駐車スペースが空いたガレージ、筋肉質の殺人犯、その殺人犯がガレージで落としたボタン。これらの伏線が効いて、犯人がみずから吐いた嘘で罠にかかるとき、読者もきっと著者のしかけた罠にかかった気分に陥るだろう。
「魔法使いと二つの署名」は、偽装された遺書をいかに見破るかが興味の焦点となる。筆跡鑑定士が死者のものに間違いないと判断した完璧なできばえの遺書に残った贋の署名。この筆跡を贋物だと見抜くきっかけは意外なところにあった。この作品でもさりげない伏線が最後に効いている。
「魔法使いと代打男のアリバイ」は、タイトルにもあるようにアリバイ崩しがテーマだ。シンプルであるがゆえになかなか手ごわいアリバイを、聡介は犯人のちょっとした嘘から見破ってしまう。それを見破るきっかけとなるのが、マリィが思わず魔法を使ってやってしまったある行為というところが、この作品のミソであろう。
東川さんの作品はどれもユーモアの皮をかぶっているが、中身は相当に濃い味の本格ミステリだ。本書『魔法使いは完全犯罪の夢を見るか?』もまた、本格ミステリのビギナーからマニアまでを虜にするしあがりになっている。 どうしてこんなことができるのだろう? もしかしたら東川さんこそが魔法使いなのかも……。
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