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島倉千代子、紅白歌合戦デビューのエピソード

島倉千代子、紅白歌合戦デビューのエピソード

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

 高音部で声を震わせる独特の「泣き節」で多くのファンに愛された島倉千代子は、昭和十三年(一九三八年)、東京市に警察官の四女として生まれた。戦争中、長野県に疎開。ここで、事故のため左手首から肘を損傷、以後、自由に動かすことができなくなった。終戦後、東京に戻る。母親の影響で歌に興味を持ち、歌唱力のある姉から手ほどきを受け、「のど自慢あらし」として有名になる。昭和二十八年、日本音楽高等学校に入学。翌年、コロムビア全国歌謡コンクールで優勝する。昭和三十年、「この世の花」で歌手デビュー、二百万枚の大ヒットを記録する。

 昭和三十二年、「逢いたいなァあの人に」で紅白歌合戦に初出場する。しかし、この初めての紅白歌合戦で、島倉千代子は極度の緊張のあまり、思いもかけない行動に出た。NHKのインタビューによれば、前の男性歌手が歌い終わろうとしたとき、舞台袖で待っていた島倉は、いたたまれなくなってなんと振り向いてそのまま家に帰ろうと歩き出したのである。ところがそこにNHKのスタッフが立ちはだかり、島倉はもう一度ふりむいて、そのまま舞台によろよろと出て行ったという。今となってはなんとも時代がかったエピソードである。

 昭和三十七年には、ファンが投げたテープが目に当たり、失明寸前のダメージを受けた。写真は同年十二月に撮影。昭和三十八年、阪神タイガースの藤本勝巳と結婚するが、昭和四十三年離婚する。この年、「泣き節」のイメージを一新する「愛のさざなみ」が大ヒットした。

 数多くの名曲に恵まれた島倉千代子だったが、昭和五十年代には、多くの知人の連帯保証人となり、莫大な借金を抱えてしまう。一時は、十億円を越えたといわれた。しかし、全国各地を行脚、営業して回り、返済した。昭和六十三年、「人生いろいろ」が大ヒット。この歌はいまも長く歌い継がれている。平成二十五年(二〇一三年)十一月、肝臓がんのため、苦労多き人生の幕を閉じた。

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