書評

桐野文学の主題である「支配」の構造の最も純粋化された短編集

文: 白井 聡 (政治学者)

『奴隷小説』(桐野夏生 著)

 しかも、没落する中流階級がプチブルの虚飾を捨て去れば「素朴な民衆の貧しいけれども幸福な生活」へと戻れるのかといえば、そんなことはもはやできはしない。中流階級からの下方離脱は下流化を意味するだけであり、戻るべき故郷など存在しないという事実を、下流家庭のこれまた荒涼たる有様を執拗に描き出すことによって、桐野氏は読者に告げる。詩人の谷川雁は、中流階級について1984年にこう警鐘を鳴らしていた。「古典的な労働者でも農民でもなくなったかれらが、さりとて市民でもないとしたら、いったい、何者なのか。私はそれを一種の難民と呼びたい。この列島の現代社会で、落ち着く先をもたず漂い続けるボートピープル。過重なローンを背負ったマイホームもまた、漂うボートにすぎまい」(「“あってはならない”産業の闇を凝視せよ」)。桐野氏の作品世界――それは平成の世相そのものなのだが――は、豊かになることによって「何者でもなくなってしまった」人々が、豊かさを失ったことによって、あるいは失うかもしれないという不安によって、お互いを傷つけ合う場所なのである。そこにおいて、重層的な支配の構造は、人々を際限なき悪意の相互投射へと駆り立て、人間をあらゆる偽善と自己欺瞞から切り離された剝き出しの存在として露出させずにはおかない。

 さて、本作『奴隷小説』は、そのタイトルからして、桐野文学の主題である「支配」の構造の最も純粋化された形態を追究するものであると見ることができよう。短編集である本作で描かれる「奴隷」の姿は多種多様であり、それによってこの世の奴隷的支配の形態の多様性を表現するのである。

「雀」や「山羊の目は空を青く映すか」は、場所も時間も特定しがたい寓話的世界を舞台としている。前者では、迷信によって覆われた部族支配の村で、女たちが徹底的な奴隷状態に置かれている。後者は、どこかの全体主義国家における強制(矯正)収容所のような場所をモチーフとしているようにも感じさせるが、定かではない。いずれの世界も、理不尽な剝き出しの暴力によって支配された空間として描かれている。

 同様に、「泥」という作品も直接的な暴力による人間の奴隷化の瞬間をとらえているが、こちらは、寓話的雰囲気を醸し出しながらも、2014年4月にナイジェリアで発生した、イスラム過激派集団、ボコ・ハラムによる生徒拉致事件という現実の出来事からモチーフを得ていると私は受け取った。この事件では、200名以上の女子生徒が拉致され、現在でも100名を超える被害者が未解放の状況にある。だから、この作品の世界は寓話ではない。この世界でいま現実に吹き荒れている狂気の実像に、桐野氏は迫ろうとしている。

奴隷小説桐野夏生

定価:本体570円+税発売日:2017年12月05日


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