”信じていたいこと”を壊していく
もう一つ、そもそもなぜつらいシーンを書くのかについてですが、実は私も、『くちなし』を書き終わった後に、なぜ自分はわざわざ人を不安定にさせるような話を書いたんだろうって思っていたんです。そんな時に、ある書店員さんから「『くちなし』を読んでぞくぞくしました」という感想をいただいて、そうえば私も書きながら同じ気持ちになったと思って、なぜだったのか考えてみたのですが、この本はきっと、「世界はこういうものである」という思い込み、たとえば、親は無条件に子どもを愛し、男女の中にはすばらしい愛情があって、人間には善悪を判断できる心が備わっていて……という、“信じていたいこと”を一つ一つ壊してみようという試みだったんですね。信じていたほうが安心できることをわざわざ砕いていくことで、そこから自由になってみたかった。自由になれば、よりいろんなことがわかって、広い理解ができるようになるんじゃないか。それが、自分が読み手に負荷をかけるような話を書いている理由なんだと思います。
すごく長い回答になってしまいましたが、作品を読んで感じた不快感や拒否的な反応を、私にちゃんと伝わるかたちで書いてくださったことに感謝しています。ありがとうございます。
――「薄布」は、何度も改稿しましたよね。この作品について、いろんな反応が起こって、様々な議論になったのだとしたら、彩瀬さん自身が、最初から完成形が見えていて正解を書こうとしたのではなくて、この感情は何なのかと挑んで、考え続けていたものが、皆さんにも届いたからかもしれませんね。