
〈弟は父の性虐待で死んだ〉から続く
文藝春秋電子版(現・文藝春秋PLUS)で連載されたジャーナリスト・秋山千佳氏による「ルポ男児の性被害」。追加取材を加え、今年7月に『沈黙を破る 「男子の性被害」の告発者たち』として一冊の本にまとまった。連載当時、驚異的なアクセス数を記録した塚原たえさんの記事から一部抜粋してお届けします。
◆◆◆
母は笑って見ていた
姉弟に共通していたのは「大人は助けてくれない」という認識だった。2人とも感情を顔に出すことは滅多になく、言葉にすることもなかった。
姉弟間でのコミュニケーションは、アイコンタクトが基本だった。
数少ない子どもらしい情景として、姉弟でテレビの前に並んで座り『8時だヨ! 全員集合』を観たことがたえの記憶に残っている。「面白いね」と笑っていると、父親が不機嫌になり「こんなの観てるんじゃねえ」と言い出した。姉弟はいつものようにアイコンタクトを取って、居間から離れた。
父親が留守にしていて姉弟でキャッチボールをした日のこと。帰ろうとすると、父親の車が戻っていた。2人とも足がすくみ、近所の墓地へダンボールを持っていって隠れた。
「子どもって無力じゃないですか。逃げたくてもどうしたらいいのかわからない。だからその時はダンボールに隠れて『ここでずっと2人で生活しようね』と言いました。当然すぐ見つかってしまったんですけど。弟とはお互いの辛さがわかるぶん、助け合いの気持ちがあり、姉としては本当に逃してやりたかった」
和寛が裸で屋外へ放り出された際、たえが木戸の枠の壊れた隙間からバスタオルなどを渡して「逃げな」と言ったことがある。和寛は渡されたものをまとって逃走したが、すぐ誰かに捕まって家に戻された。和寛はこの後、父親からの逃走を試みるようになる。

たえは11歳の時、初潮を迎えた。
父親はその日、異様に上機嫌だった。日頃は金がないと言っているのに「お祝いだ」とケーキを買ってきた。
夜、たえだけが父親に呼ばれて「布団に入れ」と言われた。
「その日初めて挿入されたんです。父親が布団をめくって、隣の布団に座っていた母親に『ほら見ろよ、入った入った』と言いました。母親も『何やってんの』と笑っていました。それが性被害と言われるものだと理解するのはもっと後のことで、その時点での認識は、気持ち悪い、痛い、苦しい。和寛は別の部屋にいました」
たえは後年、母親に「どうしてあの時助けてくれなかったの」と問い詰めている。たえ自身が母になろうとしているタイミングのことで、普通は娘のために体当たりしてでも、もっと言えば殺してでも助けるべきではないかという思いが高じたためだ。
母親は「怖かったから」と答えた。母親も壮絶なDVを受けていた。たえが言う。
「正直に言えば、母親もかわいそうな人ではありました。中絶は11回していますし、暴行を受けて血まみれで救急車で運ばれたことも何回かあります。顔にはいまだに傷跡が残っていますが、その傷を負った日には縫ってすぐに仕事へ行かされたそうです」
母親にも被害者の側面があるとはいえ、たえや和寛が「大人は助けてくれない」と絶望した最大の理由は、最も身近な大人である母親が助けてくれなかったことだった。
弟も性虐待を受けていた
和寛もまた、性虐待を受けていた。
たえがそれを知ることとなったのは、和寛が小学6年生の時だった。
「最初に私が目にしたのは、口腔性交でした。和寛が裸で後ろ手に縛られて、ああしろ、こうしろと命令されていました」
たえがこたつで寝かされている横で、和寛が被害に遭うこともあった。裸の和寛がベルトで殴られながら口腔性交をさせられ、その後、肛門性交をされた。その様子がこたつの掛け布団をめくった光で照らし出され、たえの脳裏に焼きつくこととなった。
父親は姉弟の助け合いも妨げようとした。
たえは裸で鴨居からぶら下げられ、ベルトや洗濯ホース、濡れタオルなどで殴られることがよくあった。父親はその一部始終を和寛に見せ、時には「お前も殴れ」と命じた。命令に従わなければ、和寛も殴られる。和寛は力を抜いて命令に従ったふりをしたが、「それじゃだめだ」とやり直させられた。
たえはアイコンタクトで、「本気でやらないと和寛がやられるから仕方ないよ」と気持ちを伝えようとした。しかし、返ってくるのは悲しくなるような目だった。
「『おれ、やりたくないよ』という目でした。あの目が忘れられなくて……。和寛も殴るのが本当に辛かったのだと思います。お互い、その痛さを嫌というほど知っているので」
今、たえが和寛の顔を思い出そうとしても、笑顔は浮かばず、「あの目」ばかりが蘇るという。

「和寛が性虐待に遭っている時も、横目でちらっと私を見てくるんです。その目には、苦しいとか辛いという感情はないんです。感情以前の、無なんです。あれはもう人の目じゃない。私たちはお互い、無の目でアイコンタクトをするようになっていきました。そういうことの積み重ねが、あの子を殺したのだと思っています」
ただ、和寛は最初から死を望んでいたわけではない。むしろ、生きるためにもがいた。
(第6章「弟は父の性虐待で死んだ」より)
秋山千佳(あきやま・ちか)
1980年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、朝日新聞社に記者として入社。大阪社会部、東京社会部などを経て、2013年に退社し、フリーのジャーナリストに。著書に『東大女子という生き方』(文春新書)、『実像 広島の「ばっちゃん」中本忠子の真実』(KADOKAWA)、『ルポ 保健室 子どもの貧困・虐待・性のリアル』(朝日新書)、『戸籍のない日本人』(双葉新書)。
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