(全2回の2回目/前編を読む)
幼い頃から“作家”だった
――こんなに緻密に構成しているのに、数字に弱くて年表を作るのが苦手だそうですね。
阿部 そうなんですよー。作った年表がズレていて、後から編集さんに指摘されるんです。世界全体はちゃんと進んでいるんですけれど、アウトプットする人間の算数機能がポンコツなので、間違っていることがたびたびあって「やっちまったぜ」と。
私、算数までは全部日本語に訳せたからなんとか理解できたんですよ。足すとか引くとか。ルートが出てきた瞬間に、ルートという記号を一から日本語に訳さないと難しくなりました。
――国語は好きだったんですか?
阿部 好きでした。得意でしたね。小学生の頃、算数がこんなにできないのですごいバカだと思われていたんですけれど、国語に関してはできると周囲からも言われていたし、自分もそう思っていました。
――小さい頃からお話を作っていたんでしたっけ。
阿部 はい。文字を知る前は絵で物語を描いていたんですが、ただ絵を描くんじゃなくて、必ずストーリーの一場面を描いていたんです。バスで30分くらいかかる幼稚園に通っていたので、友達に通園バスのなかで物語を話していたこともありました。そうしたら、みんなが「面白い」「続きは?」と言ってくれるので、「よし、じゃあもっと次は面白い話を考えよう」と試行錯誤するようになって。小学校1年生の頃から物語を書くようになり、その時は絵と字が混ざっている感じだったんですけれども、先生がすごく褒めてくれたんです。クラスのみんなの前で発表してくれて、で、どんどん癖になっていって、作文帳に書くようになり。ただ、その時は本当に遊びみたいな感じでした。
――前にもおうかがいしていますが、転機が訪れたのが……。
阿部 「ハリー・ポッター」に夢中になっていたら、母親に「そんなに好きなら作家になれば」と言われて、「そうか、今まで私が楽しみでやってきたことでご飯が食べられるんだ」と気づいて、私の天職はこれだと思いました。私、今までそれが小学校2年生だと思っていたんですけれど、これがまた計算が間違っていて。このあいだ「たぶんそれ、3年生じゃないですか」と言われて「ああ」と。3年生の頃には文集に「作家になる」と書いていたので間違いないと思うんですけれど。
――そこからブレることがなかったという。