阿部 だってそれしかないですもん。よそ見している暇はなかったですね。小学校3年生の時から目指して、20歳でデビューだったから、ワナビーの時間がすごく長かったです。
――「ハリポタ」に出合う前はどんなお話を作っていたんですか。そこにもファンタジー要素があったのかどうか。
阿部 ファンタジー要素はあった気がしますね。そもそも私、小さい頃の段階で「虹を食べた」とか「妖精が見える」とか、一歩間違えると「ほら吹きめ」と叱られるようなことをすごく言っていたんです。原点からもうそういう方向だったんでしょうね。
母がそれを全部メモしていたんです。「風の神様が見える」とか「今日はキャンプ場で大きな傘のキノコを見つけて、みんなでその下で雨宿りしたんだ」とか。母は1回も「噓だ」と言わなくて、「それでそれで?」と聞いてくれたんです。よくその時に「噓だよ」と言わなかったなと思って。後で訊いたら「お前の目には本当に世界がそう見えているのかなと思った」と言ってくれました。ありがたいことに、先生も想像力が豊かだと受けとってくれて。そこで「ほら吹きめ」と言われていたら、もうこういうことはできなかったと思うんです。小学生になってもそれが続いていたんですが、作家という仕事に気づいてからはそういうことを言わなくなった気がします。だから、アウトプットの正解というか、やり方を見つけたんでしょうね。それまでよくみんなが許してくれたなと思います。
――素晴らしい大人たちに囲まれていたんですね。
阿部 でも、うちの父親は結構心配だったらしくて。小学生の時、水撒きをしながら「ほら、光と水の関係で虹ができたぞ」とか言っていました。私はもう虹ができる原理は分かっていたので「親父殿は何を分かり切ったことを言っているんだ」って思っていたんですけれど、後になって私のことを心配していたんだと気づきました。
――そうだったんですか(笑)。さて、作家という仕事があると知ってから、どんな作品を書かれていったのでしょうか。