お勧めはありません
この依頼、一度はお断りしました。理由はふたつあり、ひとつは職業作家として特定の誰かに向けた文章は書きたくないから。もうひとつは、私の高校時代が褒められたものではなかったからです。部活動もせず、学校も出席だけとって帰ってしまうような生徒だったため、現役高校生の方々にアドバイスできるようなことはなにもないのです。妹は当時の私のことを「あの頃のお姉ちゃんは死んでいたよね」と言います。ちなみに、姉妹仲はずっといいです。妹、大好き。
妹には死んでいたように見えたのでしょうが、実はよく知りもしない無頼を気取っていました。坂口安吾に傾倒していたのです。人は歳をとると偏屈になると言われがちですが、私は10代の頃が最も偏屈で尊大でした。鬼籍に入った文豪の本しか読まないと決め、大人に反抗的な態度を取り、級友ともつるまず、いつもひとりで図書館にいました。三島由紀夫や夢野久作、川端康成、安部公房を好み、寺山修司に憧れては下手な詩を書いていました。小川洋子さんと川上弘美さんだけは禁を破ってこっそり読んでいました。
SNSはおろか携帯電話もなかった時代です。「読書好きと繋がりたい」みたいなタグで誰かと知り合うこともありません。理系のクラスにいたので、文学好きな子も見当たらなかったように思います。いたとしても当時の私は関わりを持とうとはしなかった気がします。人に勧めてもらわなくても自分の読みたい本くらい選べると思っていましたし、ひとりで読書している時間が好きでした。孤独は美しいことだと信じていました。
ある日、古文の授業で『伊勢物語』を取りあげました。ある女の選択に関することで先生が私に尋ねました。「千早、君ならどうする?」。自分なら? え、私? 平安時代の話でしょ。戸惑いながら、自分に近づけて古文を読んだことがないことに気がつきました。「この時代の人間じゃないのでわかりません」と私は間抜けな返答をしました。先生は授業後に私を呼び『伊勢物語』を訳してみてはどうかと提案してくれました。そうしたら、彼らの気持ちもわかるかもしれないよ、と。ノートに書き写し、品詞分解し、自分の言葉で訳をつけました。それを先生に提出すると、赤入れと感想が返ってきます。ノートを渡すとき、先生と二言三言、登場人物の心情について話すうちに楽しくなってきました。125段すべてを訳して、理系から文系に転向しようと思いました。
大学は文学部でした。本について語り合える友人もでき、読む作家の幅もひろがりました。でも、孤独に読書をしていた頃もそれはそれで幸せな時間でした。時間を忘れて好きな物語について話す楽しさも、ひとつの物語に深くもぐる豊かさも、今はどちらも知っています。読書は自由です。だから、やはり勧めたい本も読み方もありません。
「オール讀物」2023年7月号より転載