「誰かと語り合うことでしか得られない感動に出会うことができました」――第10回高校生直木賞 参加生徒の声(1)

高校生直木賞

高校生直木賞

「誰かと語り合うことでしか得られない感動に出会うことができました」――第10回高校生直木賞 参加生徒の声(1)

2023年5月、第10回高校生直木賞が開催されました。同月7日に43校の代表者が全国からオンラインで集まり、地方予選大会を開催。同月21日、互選によって選ばれた代表者が文藝春秋に集う全国大会が行われました。参加校全員による投票の結果、凪良ゆう『汝、星のごとく』が受賞作に決定いたしました。小説について熱く語り合った高校生たちの感想文を、3回にわけて掲載します。今回は立命館慶祥高等学校、茨城キリスト教学園中学高等学校ほか、8校をご紹介します。

第一回 | 第二回 | 第三回

【第一回】

■立命館慶祥高等学校(北海道)小川夏季「全国の本を愛する高校生の皆さんと」

■茨城キリスト教学園中学校高等学校(茨城県)喜古楓「言葉を重ねる努力」

■渋谷教育学園幕張高等学校(千葉県)飯泉華子「余白とは可能性のこと」

■駒込学園駒込高等学校(東京都)寺本裕太郎「議論とは」

■豊島岡女子学園高等学校(東京都)竹下春音「白熱した議論に終始圧倒され」

■日本大学豊山女子高等学校(東京都)K.M「私たちは自由な読みかたをするべきだ」

■麻布高等学校(東京)廣瀬一穂「絶望をよむこと」

■恵泉女学園中学・高等学校(東京都)乗政奏乃「反論しあうこと」

立命館慶祥高等学校(北海道)小川夏季「全国の本を愛する高校生の皆さんと」

 私は、本を読めているものだと思っていた。けれど、高校生直木賞での議論に参加し、全国の本を愛する高校生の皆さんの話を聞いていると、自分なんてまだまだだと感じた。今までの自分は、本を一度読み、物語を楽しむだけで満足してしまっていた。もちろん、趣味としての読書は、その行為だけで十分なものだと思う。しかし、今回のようにある本を評価・鑑賞するときは、もっと「深く」読むことが必要になる。今回学んだ「深い」読み方とは、自分の表面的な感性のみで判断するのではなく、こういった部分がこうだから、こういう風に面白い、という面白さの理由付けを一つひとつしていくことである。そうすることで、その本をより多様な観点から観察することができ、一冊の本から吸収できることが格段に増えると思う。今回、参加者の皆さんから学んだことは、自分の読書の行い方をより良くしたいと思わせるものだった。この経験を活かし、これからも文学を楽しんでいきたい。

茨城キリスト教学園中学校高等学校(茨城県)喜古楓「言葉を重ねる努力」

 この高校生直木賞を通して、私は議論の重要性を感じました。普段の学校生活の中で、本の話をすることが無いわけではありません。ですが、今回の企画のように特定の本について本文中に書かれていない人物の感情や、作者がその題名をつけた真意を深く考察した事はありませんでした。自分で地区予選の前にそれぞれの本を読み、感想をまとめました。その過程で一度読むだけでは気が付かないようなことまで見つけられました。それだけでも、とても勉強になったと思います。更に、選考会当日に全国の高校生と語り始めると、それまで全く見当もつかなかった伏線に気づくことや、他の視点から作品を見つめることで初めて感じることもありました。今まで読書は一人でするもの、と考えていた私は今回の経験を通して多くの驚きがありました。そして自分ではない誰かがいること、その誰かと語り合うことでしか得られない感動に出会うことができました。このような経験は、高校生直木賞という全国の高校生と語り合う場がなければ出来なかったと思います。これからも多くの人と言葉を重ねることで、豊富な経験を出来るよう努力していきたいです。

渋谷教育学園幕張高等学校(千葉県)飯泉華子「余白とは可能性のこと」

 人は名前や肩書きにより、それに相応しい振る舞いへと誘われる。私自身、日常における高校生というラベリングに複雑な思いを感じつつも月日は流れ、高校生活最後の年、2度目の参加となった。

 会議の目的は、候補作から最も高校生直木賞に相応しい本を選考することだ。しかし、物語を数値や理論で証明できない以上、評価に絶対性は存在せず評価基準と尺度は各々に委ねられる。会議には事前に基準が設けられていないため多元的な議論が発生した。その過程では、論点が枝葉のように広がり、議論の余地が残されることもあったが、参加者が互いに傾聴し自由に意見する時間は有意義だった。

 個人的目標として文学的評価を試みたが、やはり議論において難所となったのは解釈である。解釈の多様性を認めることは、賞の選定において文学に優劣をつけることと相性が良くなかった。そもそも解釈の多様性は悪ではない。例えば、古典が時を越えて生き残っているのは、時代ごとに評価される解釈の幅があるからであり、文学全般においても多様な解釈こそが根源的な面白さをもたらしている。だからこそ、私は異なる解釈の否定より解釈の深度を重視することに努めた。解釈の深度は余白にある。余白とは無駄ではなく可能性のことだ。タイムパフォーマンスが求められる現代に余白を与えてくれるのは物語であるのかもしれない。

 小説において登場人物は実在せず、彼らの人生はフィクションである。しかし、決して「嘘」ではないということをひしと感じる読書ができた。高校生直木賞の重心が何処にあるのか模索しつつも、しがらみのない1人の読み手として、ある意味での真実に向き合えたことを嬉しく思う。

 高校生直木賞実行委員会さんを始めとする多くの方々に支えられ、充実した時間を過ごすことができました。高校生直木賞の更なる発展を願っています。

駒込学園駒込高等学校(東京都)寺本裕太郎「議論とは」

 私は、読書後に意見交換をすることは少なかったと思います。議論は白熱すると、相手と否定し合ってしまうことがあるからです。読者が異なる価値観・経験を持つことで、本の感想や捉え方は変わります。“相手に想いを伝えたい”それ故に相手を否定してしまう。だからこそ、私は議論の中に答えを見つけ出すことは難しいと思っていました。自分が抱いた思いや感情は、誰かに理解してもらう物ではなく、綺麗なまま、そっと心の本棚にしまって置くのが自分にとって良いことだと思っていました。「高校生直木賞に出てみませんか?」全国から本好きが集まる高校生直木賞。ここなら何か学べるかもしれない、そう感じたことが参加のきっかけでした。コロナ禍から徐々にWithコロナへと移り変わり、対面で選出された代表校が一堂に会した会場。ピリッとした緊張感は今でも覚えています。そして始まった議論、私が1番印象に残っているのは『しろがねの葉』についてです。私は最初、この作品について、「時代から感じさせる生々しさや、間歩の暗さを、まるでそこにいるかのように感じさせる表現の上手さ」を良さとして語りました。「ウメの内側にあったものを、掘り出すようなものではないかな?」この意見に私は唖然としました。今まで持っていなかった捉え方。本をただ、ウメの一生として捉えるのではなく、銀掘のように掘って、その奥底を見る本。私は、歪んだジグソーパズルが綺麗にはまったかのような気持ちでした。自分が持っていた感想から、一歩新たな世界へと踏み出したような感覚。自分だけでは、見つけることのできなかった世界。この感覚は違う価値観を持つ人との議論でしか得られないと気づかされた気がしました。否定ではなく問いかけで「私はこう思います」「その理由は?」友人や先生、家族と“理由の力”によって議論を交わす、新しい読書の楽しみ方を私は発見することができました。まだまだ私の知らない読書の楽しみ方がある。高校生直木賞はまだ知らぬ世界への門を開けてくれたのだと私は思います。

豊島岡女子学園高等学校(東京都)竹下春音「白熱した議論に終始圧倒され」

 私が高校生直木賞に参加したのは今回が初めてでしたが、本選での白熱した議論に、終始圧倒されていました。参加されていた方たちはみなさん、自分の推し本への愛がものすごいのはもちろん、それ以外の候補作品についての考察もとても深く、議論の中で、本当に読書が好きなんだな、ということがすごく伝わってきました。

 最終的に、私たちの学校で推薦していた『汝、星のごとく』が高校生直木賞に選ばれ、実際に作者の凪良ゆうさんとお話しさせていただくことができて、電話越しではありましたが、凪良さんのこの本への思いが伝わってきて、『汝、星のごとく』を私たちの学校で推薦させていただいたことをすごく光栄に思いました。

 私は小さいころから読書が好きでしたが、高校生直木賞に出会うまで、読んだ物語について友人と感想を伝え合うことはあっても、深く考察することはあまりありませんでした。なので、今回の経験は私にとってすごく新鮮で、戸惑った部分もありましたが、とても貴重なものになりました。物語について友人と議論しながら考察し、それぞれの描写や物語自体にこめられた意味を考えることは難しい部分もありましたが、とても楽しく、本選では、学校で議論しているときにはなかった新たな視点からの物語の読み方を知ることができ、とても有意義な時間を過ごすことができたと思います。この会全体を通して、私は改めて、本が大好きだ、と感じたと同時に本についての意見を共有することの楽しさを再認識しました。

 最後になりますが、このような素敵な機会を設けて下さった文藝春秋の皆様、高校生直木賞に携わってくださった全ての方にこの場をお借りして感謝いたします。

日本大学豊山女子高等学校(東京都)K.M「私たちは自由な読みかたをするべきだ」

「高校生直木賞とは何か」を議論していくうちに、「そもそも私たちは書評をする権利はあるのだろうか」という疑問がうまれた。本来ならば、ないだろう。私たちは本を選ばないといけない、これは高校生直木賞の前提だ。しかし結局は主観的な営みである。レトリックやジャンルで好みは異なる。高校生に読んでほしいというのもターゲットが広い。書評家でもない一介の高校生が筆者を批判するのだ。

「許されざる」行為を肯定してくれるのが高校生直木賞ならば、私たちは自由な読みかたをするべきだ。積極的に自らのバックグラウンドと擦り合わせても良い。極端な抽象化をしても良い。地方予選も全国大会も多様な立場から、多様な見方を交わした。これらは全て正解である。いや、正解であり不正解でもあるというべきか。読書のもつ選り好みの側面を否定できない。

 議論が最も活発であった『汝、星のごとく』が高校生直木賞を受賞した。「わたしは愛する男のために人生を誤りたい」。これは現代を生きる高校生の気質に適っているように思われる。

 全国大会終了後、次は「どのようにして執筆したら多くの人の心に響くのか」という疑問に出くわした。自らの主張と受容される内容は一致しないことが多い。今、私たち高校生は文芸をどのように扱うべきであろうか?

麻布高等学校(東京)廣瀬一穂「絶望をよむこと」

 高校生直木賞に参加したことは、自分自身は本といかにして対峙すべきか、考えを深める機会となった。

 全国大会の場では、やはり人によって本の「評価」の軸が異なったために、レトリックの練度や、「高校生が読むべきなのはどれか」など、評価基準についても話し合う時間があった。このなかで、「文学」としての評価という観点が出、それによって高校生直木賞がより普遍的な、あるいは健全とも言える基準で本を評価する場になったとおもう。

 読書は呼吸や睡眠のようなあたりまえの行為ではないから、精神・肉体どちらにおいても普段使わない「筋肉」を動かすことになる。だからわれわれは分厚い本を見ればつい身構えてしまうし、文体が整っていたり、あるいは登場人物の行動や心情がすんなりと理解しやすい本だったりを「いい本だ」と評価する。しかし文学は、ほんとうは意味なんてあるはずのない世界に対峙して、もしかしたら書き手は世界の虚無に気づきながらも、人間が存在し、生きつづける意味を取り繕うという切実な営みであるはずだ。そしてその営みは、読み手が本を開き、受容することを以て存立する。書き手は、読み手の存在によって、第三者からの視線を浴び、あるいは視線を内在化することで、自分の作品を世界に据えたときの影響を認識し、自分の存在を世界に規定することができるからだ。それゆえ、読み手もまた、文学を切実に読まなければならない。方法論に過ぎない要素で評価を終わらせ、「感動した」と自己充足する読書体験のセンチメンタリズム的な消費を超越した、手触りのある空間がたしかにあった。

 学校を代表してひとつの本を推薦したにもかかわらず、最終的には推す本を変える参加者もいた。それは、短い時間ではあったが、在学校や年齢といった高校生に付き纏う属性を捨てた人間が、議論の場を「文学」を評価する場に昇華させたからだと、いま、考えている。これからも人に本を薦めたり薦められたりすることはあるとおもうが、本をファッションとしてではなく、一人間として批判し、批判され返すという多大な疲弊を要する体験は貴重であろう。人には人の考えがある、という否定しようのない価値観がありながら、本の優劣を決めるという残酷な営みで重要なのは、どれがいちばんなのかということではない。議論を通じて自覚させられた価値あることは、相対主義という礼服を脱ぎ捨てて、ときに他人の価値観を否定し合いながらも、痛切な絶望の産物としての文学を切実に考えるその誠実さである。そして高校生直木賞という場が終わっても、更なる読書の蓄積による、無限の煩悶を楽しみにしたい。

恵泉女学園中学・高等学校(東京都)乗政奏乃「反論しあうこと」

 私が高校生直木賞に参加したのは、学校の外に自分が面白い、と思える場所を作りたかったからです。それなのに「恵泉女学園」への帰属意識を高め、代表として出場したことは、どこか矛盾しているかもしれませんが、高校生直木賞への参加が私にとって面白い、と思えるものであったことは確かです。私は読書を、頭を使わずにできること、完全な気晴らし、だと考えていましたし、ずっとそうしてきたので、指定された本について考察したり、好きな理由について議論したりするなどということが自分にできるのだろうかと不安でした。しかし、話し合いを進めるうちに、言語化すること、そしてそれを共有し、皆で真剣に受け止めることはこんなに楽しいのかと、一種の驚きを覚えました。私の学校では、授業でグループワークがあっても、「わかんなーい」と早々に諦めて、まったく別の話題に移っていく人がほとんどです。だから私を含めて皆、反論することにも、されることにも慣れていません。そんな環境にいた私にとって、作品への愛や熱意をもって賛成と反対を繰り返していく場所を面白い、と思えたことは、本当に良い刺激になったと思います。最後に、私が成長するきっかけを作ってくださった高校生直木賞関係者の方々、校内選考に参加してくれた同輩、後輩たち、そして私のわがままに付き合ってくださった学校の先生方に感謝を伝えたいです。本当にありがとうございました。


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