「YABUNONAKA―ヤブノナカ―」を読んで
文春社員M(20代・女性)の感想
いつからだろう。男を理解して受け入れることを諦めたのは。いつからだろう。女である私の思いを理解してもらうことを諦めたのは。考えても、伝えても無駄であると、自分の思いに蓋をして、口を閉じて生きるようになったのは。「YABUNONAKA」で出会った登場人物たちの「わかりあえなさ」を前にしたもがき、苦しみをいざ目にして私はふと、そんなことを考えていた。
「嫌なことをしてくるのっていつも男だよね」
作品に出てくるこの言葉に導かれた「嫌なことをしてきた男」の記憶で、すっかり痛みに慣れて存在すらも忘れていた私の傷が疼く。私に嫌なことをしてきた男を思い出す。女である私の気持ちもわかってほしいと、もがいていたことを思い出す。
「もし今妊娠したら?」そんな話題に対し、「お腹の中にいる段階ではまだ人間ではないから堕してもいいんじゃない?」と言われたこと。
「お姉さんどこ行くの?」新宿の人混みの中、私の前を塞いだ男を無視すると「死ねブス」と言われたこと。
女一人で子供なんてできやしないのに、乳児遺棄で逮捕されて名前を全国に晒されるのは母親だけであること。
風俗やアダルトビデオなどにより、女性が男性の性の発散対象として位置づけられてしまうことへの嫌悪感を示した私に、「女性用風俗もあるじゃん」ととんちんかんな返事をされたこと。
きっと、絶対に、わかってもらえない。そして私も、きっともうこれ以上言語化できない。
ずっと、こうやって傷ついてきたのだと思う。生まれ変わったら男になりたいと、いつからかそう思って過ごしていた。男になって、お前らが今まで私たち女を傷つけたように、それと同じように、なぜか女だけが言われる「女の子の清い身体」を男の子の武器で汚して、女の子驚かして反応みて楽しんで、ナンパして釣れなかったら「死ねブス」と吐き捨てて、たくさんの女の子と遊んで女の子の心を揺さぶって振り回して、もし妊娠なんてさせちゃったら育てるなんて今は御免だから、まあとりあえず逃げて。今まで女である私たちがされたことをそのままして、男になったらそうやってたくさん傷つけたいと、やり返したいと、そう思っている自分がいる。
こんな汚くてみっともなくて最低最悪な想像でもしていないと、崩れ落ちてしまいそうだから。自分を保てないから。だって、わかりあえないから。
この作品を読んでいる途中まで、本気でこうやって思って、こう思ってしまうことを仕方ないと感じていたことに、私自身が驚く。作中最後の14章、「リコ」が出てこなかったら、私はずっと気が付かなかったと思う。そして、こうやって潜在する加害意識によって、気付かぬうちに、誰かを傷つけていただろうと思う。
そもそも、一体なぜ私は、男を前に、戦闘モードでいるのだろう。いつから、目の前にいる人間を「男」と「女」に判別して接してきたのだろう。
世に蔓延る性加害への怒りと悲しみをすべて背負うかのように、己の正義感に潰されそうになりながらも、結局何が正しくて、正義とはなんなのか自分自身を見失っていく女性作家、二度の離婚を経験、過去の性的搾取をも告発され、元から感じていた虚無感と老いへの恐怖に身を滅ぼされていく男性編集者、過去に経験した出来事が、時代と共に性的搾取へと位置付けられることに気が付き、声を上げようと戦う女性。作中では7人の登場人物たちが絡み合い、共鳴せず、ぶつかりあい、拒絶しあい、諦めて、崩れ落ちて、もがいている。
「男は気楽でいいよな」
そんな思いを抱いていたことに対する罪悪感が、ページをめくるごとに私の汚れた心を覆っていっていた。
読み進めるうちに、「男は気楽」なんていう考えは正しくないのかもしれないと、そんな単純なことを思い始めていた。でも、違った。正しくないかもしれないなんていう、そんな簡単なものではなかった。
作中の登場人物、男性が抱いている彼らならではの不安や苦しみを前に、自分の心からこんな声が聞こえてくる。ここまで男性を責めて、自分は男に傷つけられたからなんて思っていながら、自分の中の寂しさや不安を男に癒してもらっていたことがあるだろう?男性に大切にされていると思うことで自己肯定感を保っていただろう?「彼氏にしか埋められない寂しさってあるよねー」なんてしょっちゅう話しているだろう?
確かに、ずっと苦しかった。どうして絶対に、男女はわかりあえないのだろうと、どうして女性だけこんな思いをしなければならないのだろう、考えてもどうしようもないことに心が痛めつけられすぎて、もう慣れてしまっていた。だから、わかりあえないことに苦しむ自分を守るために、心の奥底で諦めた格好をしつつ、私はいつも戦闘モードでいたのだと思う。
14章、8人目の登場人物の、女子高生リコが彼氏の恵斗に向けた言葉が、私の目を覚ましたように思う。
「恵斗に性欲があってもなくても恵斗は私の大切な人だし、恵斗が男でも女でもどっちでもなくても人でさえなくても、絶対にクズじゃないしゴミでもない」
いつからか、こんな単純なことを忘れていたことに気付かされる。無邪気に描かれるリコの姿で、私は中学生の頃の、今とは違い、男女とか、性欲とか、そんなすべてを知らない、ただ目の前にいる「あなた」に恋していた初々しい感情が蘇ってくる。大人になった今、男女だとか、性加害だとか性欲だとか当たり前にある障壁が、そういえば昔の私たちにはなかった。
この感情、そしてこの感情を思い出させてくれたリコのような存在が、今の時代の希望なのだろう。
多様性、MeToo運動、性加害、告発。何が正義で、どうするのが正しくて、どれが真実なのか、もはや誰にもわからなくなってしまった今の時代。生きづらいなんて言われる世界になっているかもしれないけれども、向き合う相手が男でも女でも、性欲があってもなくても、それでいい。そんなまっすぐな気持ちで、何の不純のない綺麗な心で、まずは目の前にいる「あなた」に向き合うこと。わかりあえないとか、男だからとか女だからとか、時代が変わっていく中で、なぜかずっと怒りに震え、なにかに向けて戦っていた自分が忘れていたこと。
7人の登場人物の怒り、叫び、悲しみ。そこにぽつんと存在したリコと、8人が私に導かせてくれたこの思い全部、私にとって、今の時代というヤブノナカの中で見つけた、小さな光だ。