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切れ者で正直すぎる政治家 橋本龍太郎【没後10年、戦後日本を象徴する著名人】

切れ者で正直すぎる政治家 橋本龍太郎【没後10年、戦後日本を象徴する著名人】

文・写真:「文藝春秋」写真資料部


ジャンル : #ノンフィクション

文藝春秋写真資料部が所蔵する写真を世相とともに紹介する「文春写真館」。6月には開始より8年を迎え、ロングラン連載となりました。これまでに公開した365点より、いまだ記憶に新しい没後10年を迎える人物を再掲いたします。本日は橋本龍太郎さん。

 写真は平成六年(一九九四年)、週刊文春の阿川佐和子氏との対談のもの。「政界の杉良太郎」と呼ばれていますね、と問われ「光栄です」と笑い、ご婦人層の人気の秘密は、と聞かれ、「まだ、大人になりきってないからじゃないんですか」と答えている。

 昭和十二年(一九三七年)、東京生まれ。父の龍伍は大蔵官僚、のちに衆議院議員、厚相、文相を務める。昭和三十七年、父の急死で急遽、翌年の衆院選に立候補し当選したのが二十六歳のとき。初登院のとき継母が付き添い「マザコン代議士」と揶揄されたりしたが、以降、若くして要職を歴任し、「政策通」「若きリーダー」と目されるようになる。容姿や服装のセンスから、一般の人気は高い一方、切れ者過ぎて皮肉な対応が多く、仲間が少ない、とも言われた。不勉強な質問には嫌味で返す、記者泣かせの政治家でもあった。そうした「自分評」を意識しての「大人になりきってないから」は、気のきいた一言だ。

 この対談は、自社さ連立内閣の通産大臣として、なぜ自民党が村山首相を擁立したのかを本音で丁寧に説明している。村山と自分は、ともに党と支持者のあいだの調整に苦労してきた同志だから、という分析は明快だ。答える時には誠実、真摯に答える。正直すぎて、ハッタリを嫌う面もあった。

 平成八年、村山首相辞任を受けて、内閣総理大臣に就任。外交や行財政改革に多くの実績を残すが、景気減退による選挙敗北の責任を取って退陣。平成十三年、ふたたび総裁選に立つも、小泉純一郎に敗北。それでも晩年まで首相外交最高顧問を務めた。平成十八年、六十八歳で没する。

2012年11月12日公開

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