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『星月夜』解説

『星月夜』解説

文:池上 冬樹 (文芸評論家)

『星月夜』 (伊集院静 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

 驚くのは、“初めての推理小説”なのに、プロットが充分に練り込まれていることだろう。事件捜査とともに、事件と一見何の関係もない若者三人の交流が巧みにはさみこまれていく。ひとりの女性を中心にした愛と友情の関係が思わぬ出来事で変質して、それぞれの人生が劇的に変化していき、事件の萌芽を生むことになる。この並行して語られる関係者たちの人生が遠い光源となり、闇に閉ざされていた事件の視野が明るくなり、もつれた人間模様が次第に明らかになっていく。とくに見事なのは、たたみかけるラストの展開だろう。スピードがあがり、どのようにして犯人に到達するのかという昂奮が生まれるからだ。まさにこれぞ推理小説である。

 親本の帯にはまた、“1961年『砂の器』、1963年『飢餓海峡』、そして2011年――社会派推理小説の傑作誕生!”とあったけれど、本書は社会的な問題を強く訴える作品ではない。しかし物語がたたえる悲しみは、明らかに、東日本大震災の後の日本人の内面に深く響きわたる社会的な内容を備えている。

 この成果は、推理小説ではあるけれど、ジャンル・ミステリ的な書き方、つまり刑事を中心とした警察捜査小説の手法によらないからだろう。人物たちの一人一人の感情に寄りそい、生きていく苦しさを描くことに重きを置いている。事件の謎解きよりも、大いなる謎をふくむ人生の解明に重点をおいている。回想シーンを挿入して、複雑な人間模様を捉えて悲劇を際立たせているのである。人の愛と悲しみにこそ焦点があてられている。だからこそ、推理小説に挑戦していても従来のミステリの色にそまらず、むしろ手垢のついていない清新な作品に仕上がっている。あくまでも人間ドラマのほうに重きをおき、生きることの苦しみと困難と悲しみを切々とうたいあげているからである。とくに悲しみが胸をうつ。

 この作品が力強いのは、東日本大震災は出てこないけれど、明らかに大震災以後の物語になっていることである。エンターテインメントにおいては従来、作家はいたずらに被害者の家族を悲しみの淵まで追いやることはしなかった。どこかに救いを抱かせる面を残したものだが、伊集院静はそれをしていない。大震災で、等しなみに命を奪われ、誰にも理不尽な不幸が襲いかかることを知ったいま、手加減は嘘くさく、時にひどく冷酷にならざるをえない。

 たとえば、行方不明の孫娘を探している佐藤康之は、妻も、息子夫婦も娘も失っていた。家族の死を受容して生きてきて、嘆くことはしなかったが、孫娘の可菜子だけは、その死を何としても認めなかったし、必ずこの土地に彼女を連れて帰る決心をしていた。“自分が不憫なのではない。そんなことはさらさら思わなかった。孫娘を、あの澄んだ目をした可菜子をここに連れ帰し、この土地で暮らさせ、生きることの喜びを経験させてやりたいのだ”と強く願っていたのである。だが、その願いはかなわなかった。

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星月夜
伊集院静・著

定価:640円+税 発売日:2014年05月09日

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