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波乱万丈の生涯を送った高橋是清

波乱万丈の生涯を送った高橋是清

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

 高橋是清は嘉永七年(一八五四年)幕府御用絵師の家に生まれ、生後まもなく仙台藩の足軽高橋覚治の養子となる。慶応三年(一八六七年)、藩命により海外留学するが、アメリカで学費などを着服されたうえ、身売りされ、奴隷同然の扱いをうけるなど、辛酸をなめた。

 帰国後、文部省につとめ、のちに農商務省の官僚となる。初代特許局長として日本の特許制度を確立した。その後、ペルーで銀鉱山事業を行うが、挫折して帰国。日本銀行に入行する。日露戦争では、英国からの公債募集に尽力し、戦費調達に貢献。貴族院議員となり、日銀総裁となる。

 山本権兵衛内閣、ついで原内閣で大蔵大臣となる。原が暗殺された後、内閣総理大臣となるが、政局は混迷を極め、半年で内閣は倒れた。

 その後、加藤高明内閣で農商務大臣をつとめたあと、田中義一に政友会総裁の座を譲り、政界を引退する。しかし、昭和二年(一九二七年)金融恐慌が起り、田中内閣の下で、再度大蔵大臣に就任する。昭和六年犬養内閣でも大蔵大臣をつとめた。五・一五事件で犬養が暗殺されると、総理大臣を臨時兼任。さらに斎藤実内閣、岡田啓介内閣でも、大蔵大臣をつとめた。軍事予算縮小を図り、昭和十一年、二・二六事件で青年将校の凶弾に倒れ、波乱万丈の生涯を閉じた。写真は昭和十年、赤坂の自宅で撮影されたもの。

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