五島 昇は大正五年(一九一六年)生まれ。昭和三十四年(一九五九年)、東京商工会議所副会頭をつとめた父五島慶太が亡くなった時、東急傘下の会社は七十数社であった。それから二十六年、二代目は日本商工会議所会頭に就任し東急グループは約三百十社、上場企業十二社を数えるまでになった。
〈「前会頭永野さん(重雄・故人)は長くしゃべるので有名だったが、私はしゃべらんので有名」「大企業ばかりの経団連とちがい、日商百二十万人は永田町を埋めつくすデモをかけるパワーをもっている」「企業は愛されるだけでは駄目だ、尊敬される怖さを持て」
会頭就任後一年。攻撃的な発言は財界の若手、長老双方の絶大な支持を得ている〉 (「文藝春秋」昭和六十年=一九八五年八月号より)
ゴルフは当時でもハンデ六という腕前。東京大学一年生で野球部のレギュラーになりながら、ゴルフ部に転部したという逸話が残っている。
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『皇后は闘うことにした』林真理子・著
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