麻布高等学校(東京都港区・私立)
乙部修平さん(2016年春、卒業)
『僕が思うに作品というのは読み手の意識が作者に近づくほど深く味わうことができると思うんだ/紡ぎ手の目線で物語の世界を自由に歩き回ることを夢想すると興奮で身震いさえ覚えるよ』
僕が好きなある作品の中の台詞だ。今回のイベントで作家・木下昌輝さんとお話しさせていただき、その言葉が自然と思い出された。そしてこれまで、その意味を何も分かっていなかったと痛感した。
私たちは常に言葉とともにある。言葉で思考するし、情報は言葉として共有されることが多い。私たちの頭の中は言葉で占領されている。しかし逆に考えると、私たちの頭の中にある理解(あるいは概念と呼んでもいいかもしれない)は言葉にまでしか消化されていないとも言える。
木下さんは僕たち高校生の質問に真剣に向き合い、丁寧に答えてくださった。木下さんのそういった真摯な態度や親しみやすい人柄のおかげで、僕たちは惜しみなく素直に質問をぶつけることができた。これは僕の傲りかもしれないが、その時、僕は確かに自分の意識が木下さんの意識に少し近づいた気がした。そして木下さんの作品を以前より深く味わえる気がした。
しかしその瞬間は僕にとって、先に紹介した言葉の意味を理解する以上に、言葉が自分の血肉へと変わることを感じたという点で意義があったと思う。
言葉は最終的な形ではない。私たちは言葉を言葉のまま放置しすぎている。学生の多くはいかにテストで点を取るかという視点でしか与えられた文章を理解しようとしない。だから国語の授業が味気ないものになる。
本来、言葉とは自身の感覚的な何かに置き換わるまで消化されるべきであり、そうすることで初めて人生において威力を発揮するものではないだろうか。僕はそう信じたい。でなければ、偏差値で幸福が決定してしまうようだから。
そうした発見ができたのも、今回のイベント、さらに元をたどれば高校生直木賞あってこそだ。僕はどうあがいたところで人生経験の少ないただの十八歳にすぎず、そんなただの十八歳が作家の方と直接お話しさせていただく機会を得られたことの有り難さを今になって噛みしめている。高校生直木賞は他にも、文学について語り合う機会、仲間、そこから生まれる数え切れない刺激や新たな本との出会い等、実に多くをもたらしてくれた。それは僕にとって本当に貴重なもので、高校生直木賞によってこれからの人生が大きく動き出した気さえする。本当に感謝してもしきれないほどだ。
他にも書きたいことはたくさんある。高校生直木賞の素晴らしさについて。作家・木下昌輝さんの魅力について。しかし、いたずらに話が長くなるだけで、上手い言葉が見つからないまま、ますます要領の得ない文章になりそうだから、今後の抱負についてだけ述べさせてもらって終わりにしようと思う。
現在、そしてこれから、出版業界は厳しいとよく耳にする。それが本当か、十八歳の僕には分からない。しかし十八歳の僕でも分かることもある。それは今の社会構造は、いや、社会というものは本質的にマイノリティを生みだし続け、そこに悲劇や個人的な苦悩が現れるということだ。今も声なき悲鳴がこだましている。そしてそうある限り、つまり人が歪な文明社会を営み続ける限り、傷を癒すために言葉が、物語が必要となる。
だから僕は将来、言葉を紡ぐ仕事に就きたい。そして、できれば自分の言葉で、世界のマジョリティに一撃を与えたい。高校生直木賞を始めとし、今回のイベントを通してその気持ちはより一層強くなった。
改めて、高校生直木賞を作り上げてくださった大人の方々に、そして今回のイベントで高校生の僕たちに熱意を持って接してくださった作家・木下昌輝さんに心から感謝申し上げたい。そしてこれから先、学生が文学と向き合う機会が少しでも増えることを切に願う。