〈「普通の家庭だったけれども、それでも姉は統合失調症になった」『どうすればよかったか?』監督(59)が“家族の秘密”を映画にするまで〉から続く
統合失調症の姉と、病気を認めず、病院に連れて行かず、長期にわたって自宅で面倒を見る父と母。その日常をビデオに撮り続ける弟——。2024年公開のドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』は、そんな家族の記録である。
同作の監督・藤野知明氏が先月末、映画と同名の書籍『どうすればよかったか?』(文藝春秋)を発表した。
「姉は病気なのだから、病院に連れていけばよかった」という一見明解な正解や正しさは、当事者の現実に必ずしも結びつかない。
そうした「ままならなさ」を生きる家族について、監督であり、著者であり、そして当事者のひとりである藤野氏に話を聞いた。(全4回の2回目/3回目に続く)
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映画には入れられなかった「撮られてはいけないこと」
――本書の読後感としては、お父さんも、息子が撮っているのは単なるホームビデオではないと、気づいていたのではないかと思いました。
藤野 まあ、父は気づかないふりをしていたのかもしれないですね。そうすることで事を荒立てないようにしていたのかもしれない。というのも、「これは撮られてはいけないこと」ということをわかって行動していましたから。
――「撮られてはいけないこと」というと……。
藤野 私は大学生の頃から、父が台所で食事の準備をしている時に、胸ポケットからスポイトのようなものを取り出して、姉のお茶に何かを入れる動作をするのを見ていました。姉に向精神薬をひそかに飲ませているのではないかと思い、父を問いただしたこともあります。でも、何も答えてくれなかった。
その後、家の中でビデオを回すようになると、両親が食事の準備をしているところを撮影していれば、父が何かを入れるところを撮れるかもしれないと思うようになりました。一度、父が胸ポケットに手を入れたことがあるんですが、その時はすぐに手をもとに戻した。私が撮っていることに気づいて、「今はやってはいけない」と思ったのでしょう。
――藤野さんの「お父さんが無断でお姉さんに投薬していたのではないか」という疑いは、映画にはなく、書籍で明かされることです。
藤野 父が何かを入れようとしている様子を撮影した記憶はあるのですが、その時のテープが出てこないんです。撮影素材を見返し始めたのは姉が亡くなってからのことです。それまでは、撮りっぱなし。だから他にも見つかっていないテープがあります。姉が入院する日の映像もまだ見つかっていない。荷物のどこかに入っているかもしれないのですが。
最終的には死に向かっているという感覚
――映画は、次第に老いていく家族の姿が映し出されるドキュメンタリーでもあります。書籍ですと、お姉さんの退院後の家の様子について、「両親はこの時80代、姉は50代、私は40代。ふと、この家にはもう変化が起きないのだと思いました」という文章が印象に残っています。
藤野 子供がいれば、家の中に色々な変化があるのでしょうが、私たちの家族はそうではなかった。何かが起きる期待感がないんですよね。どんなに美味しいものを食べても最終的には死に向かっているという感覚でした。でも、ネガティブな話ではなくて、その時間をどう生きるのかが大事だと思っていました。
――話が前後しますが、お姉さんがいよいよ入院する直前の頃になると、お母さんは、娘が勝手に外出できないようにと玄関に南京錠をかけます。また、お父さんは冷蔵庫の前で寝ていたりする。家の緊張感がピークに達するといいますか、窮まってきた感じがしました。そうした中、ついにお父さんはお姉さんの入院を認めます。
藤野 その当時、母が認知症になっていたことは、映画の本筋ではないので、外そうと思えば外せます。そうして、「父は高齢となり、限界を感じて、姉の入院を認めた」とナレーションで言ってしまうことも出来る。けれども、映画『どうすればよかったか?』では、そうはしませんでした。
映画の最初の頃に比べ、父や母の容姿は、老いを感じさせるようになりますが、それだけでなく、父の頭になぜか傷があったり、家の中にやたらとものが増えてゴミ屋敷っぽくなっていたりする。そうした様子を入れることで、家族の老いが映像に現れてくる。
それが、父がかたくなに認めなかった姉の入院を同意することのリアリティにつながるんです。
父が姉を精神科医に診せなかった4つの理由
――ここはドキュメンタリー論として興味深いので、さらに聞かせてください。
藤野 なんと言ったらいいかな、映像はリアルタイムのものなんです。その映像が流れている間は、今この瞬間に起きていることになる。いわばスポーツ中継に近いライブ感がある。
だから映画を観ている人は、父がついに姉の入院を認める場面に立ち会っている感覚になります。そこに至らせるには、認知症となった母が、夜中に「謎の男が外壁をよじ登って家に入ろうとしている」と訴えながら、存在しない人間の侵入を防ごうとしている、といった映像があることが大事になるんです。
そういう状況を見れば、精神科受診を拒み続けてきた父がギブアップして姉の入院を認める理由が、ナレーションなどの言葉での説明がなくても伝わるわけです。
――今回の書籍は、映画とは異なる読後感があります。たとえば映画では、お父さんがこっそりと娘に薬を飲ませていたことが描かれていないので、統合失調症であることを長年にわたって認めなかったのは、医者の家の世間体を守ろうとしているように思えた。けれども、今回の書籍を読むと、そればかりでない面が見えてきます。
藤野 父の考えていたことは、今となっては想像するしかありませんが(映画公開後に死去)、父が姉を精神科医に診せなかったのには、私は4つの理由があったように思っています。
ひとつは、姉が発症したと思われる1983年当時に期待できる治療法がなかったこと(注1)。それから、病院で虐待される心配があったこと(注2)。身内が統合失調症になることを恥と考えたこと(注3)、さらに姉の将来のことを考えて病歴を残したくなくて、自分たちで治せるかもしれないと考えていたことです。
これらの葛藤が、父の中で働いたんだと思う。どれか1つを原因とする根拠まではありません。これが現時点で私が思うことです。
姉の葬儀で父が口にした言葉
――お姉さんは2021年に亡くなります。葬儀の時、お父さんは娘の論文が収められた小冊子を入れ、弟の藤野さんはお姉さんの趣味であったタロットカードと未使用のスクラッチくじを入れます。この対照が印象深いです。
藤野 姉の人生について、父は弔辞で「研究を手伝ってくれる親孝行な娘だった。ある意味で娘の一生は充実していたといえるのではないか」と参列者に向けて語りました。そう、信じたかったんだと思う。だから棺には論文が収められた冊子を入れなければならなかった。
あの論文は、父に探すように言われて、私が見つけ出しました。父と母と姉の3人の名前が入った論文です。父は、本当はその続きも書きたかったようですけど、未完に終わりました。
注1)08年に投薬される非定型の向精神薬は当時、まだなかった。
注2)たとえば、入院中の患者が職員の暴行で死亡する宇都宮病院事件が発覚したのは84年のこと。
注3)インタビュー後編に、精神疾患に対する日本での戦前からの社会状況が語られる。
〈統合失調症の娘を病院に連れて行かず、自宅に閉じ込めて…それでも精神科医が「ご両親の判断は正しかった」と断言した理由〉へ続く









